2876 しあわせメーター(フィクション)
ある不思議な商品が発売された。
それは、しあわせ度合いを数値化して表示する装置 “しあわせメーター” というものだ。
何がすごいって、しあわせという、目に見えない概念的なものを、“しあわせせ指数”という数字として客観的に判断できるのだから。
“しあわせせ指数”は、単純な計算式ではじき出されたものではなく、 一般的に言われる感覚に近い数字が表示される。
たとえば、お金が無くても家族みんなで仲良く暮らしているような場合の“しあわせせ指数”は高く、大金持ちでもギスギスした人間関係を持っている人だと“しあわせせ指数”が低くなるようになっている。
最初は半信半疑だった人々も、けっこうリアルな数字が出てくるので、人気が高まり、ひとり一台持つようになるのに、そう時間は掛からなかった。
気になる相手が本当にしあわせに感じてくれているのかどうかが、きちんと数字でわかるのだから、これほど確実なことはない。 不安な世の中だからこそ、人々は確実を求めた。誰もがその数字を信じて、どうすれば、しあわせメーターの数字を上げられるかを考えるようになっていった。
これに目を付けたのが時の政府。
表向きは、悪用して国民を不安にさせないように、しあわせメーターを保護する…という理由だったが、実はこれを利用して、国に対する不満を抑え込もうとしたのだ。
たとえ不況や政策が失敗して苦労が続いたとしても、みんなが「しあわせだ」と感じてくれれば、政府に対する不満も小さくなるに違いない…と。
しあわせメーターの数字を改竄(かいざん)して、こっそり高く表示するようにした。
すでに、誰もが、しあわせメーターの数字を信じ切っていたから、“数字上”は、みんながしあわせな状態となった。
しかし、少しずつ“しあわせせ指数”の数字が落ちてきてしまった。なぜなら、人々が、「しあわせは当然」といった、慣れの状態になってくると、“しあわせせ指数”も落ちてしまうのだ。
そこで政府は、さらに改竄の度合いを強めて、より高い値が出るようにした。
ふたたび、人々は“数字上”では、みんながしあわせな状態となった。
(数字上)しあわせなのが当たり前の毎日。
(数字上)不幸を感じる人のいない世界。
やがて、そんなしあわせな毎日に慣れる日がやってきた。
政府は、また数字を変更…これを繰り返しているうちに、人々が、自分自身の感覚と、“しあわせ指数”にギャップがあることを感じ始めた。
しあわせなのはずなのに、何かが足りない。何かがおかしい。
そもそも、しあわせメーターの数字は合っているのだろうか? 人々は、“しあわせ指数”の数字に惑わされて、「自分はしあわせなんだ」と信じようとしていたことに気づき始めた。
本当に自分はしあわせなんだろうか?
いや、そもそも、しあわせかどうかは自分で決めればいいのだ。
国民の誰もがそう思ったとき、しあわせメーターが登場する以前の世界に戻るのは、もう時間の問題だった。