2001 君が死んでも何も変わらない
ここ最近、いじめが原因による自殺が相次ぎ、その対応方法に批判の声が上がっている。
北海道滝川市で起きた教育委員会による遺書隠蔽と「いじめの存在を認めない」という問題では、予想通り、その後市長を始め、関係者が遺族に対して謝罪するという結果になった。
悲しいかな、面白いように(…別に本当に面白いのではなく“皮肉”を込めて)事件は同じような経過をたどるのだ。
- いじめを苦に自殺
- 学校側の発表で、いじめとの因果関係を否定
- その後一転していじめとの関連を認め謝罪、詳細調査を約束
- 中途半端な対策と曖昧な調査に終始
- しびれを切らした遺族が提訴
時間がかかったものの滝川のケースは、ようやく“3”となった。
先日発生した、福岡県筑前町でのケースも“3”のステータスとなり、先生も率先していじめを助長していたという事情が加わったことで、そろそろ“4”になるのも時間の問題だろう。
ということで、たいてい“4”までは順当に進んでいく。さすがにすべてが提訴までいくわけではないが、真実を明らかにしたいという遺族の無念さを考えると、裁判に訴えたいという気持ちは十分わかる。
いじめを苦に自殺しても、結局はこんなものなのだ。先生はもちろん、教育委員会も、いじめた本人たちも、その親も逃げ回り、なかなか真実は明らかにならず、結局なにひとつ解決なんかしない。そのうち時が過ぎて忘れ去られていくのだ。
いじめられて自殺を考えている子たちに伝えたい。
なんとか自殺は思いとどまってほしい!
君が亡くなってもなにひとつ変わらない。
君が自殺すれば、君をいじめた人たちが変わってくれると思うでしょ?
でもね、なにひとつ変わらないんだよ! それが現実。
一番大きく変わってしまうのは、これまで君を大事に育ててくれた両親の人生だ。それでいいのか?君の自殺は“無駄死”にになってしまうかもしれないんだよ。
自殺以外の解決方法がないか、もうちょっと考えてみてくれないだろうか?
たくさんの前例が示すように、君が死んでも何も変わらない。みんな同じような経過をたどっているのだから。