1710 判断の物差し

定点観察

こんなニュースを見かけた。

運転室に子、父解雇へ 東武野田線で一駅乗車
 東武鉄道野田線の南桜井駅(埼玉県春日部市)で、普通電車の運転室に30代の運転士の長男(3つ)が入り込み、次の川間駅(千葉県野田市)まで運行を続けたことが10日、分かった。同社は「重大な服務規定違反」として、運転士を懲戒解雇する方針。

 記事によれば、運転士の妻と長男が先頭車両に乗車。運転すする父親を見て、長男が騒ぎ始めたという。それをなだめようと停車中にドアを開けたら入り込んでしまい、発車時間になったためにそのまま発車してしまったという。

 そりゃ子供が騒いでるのであれば、親としてなだめるのは当然だけれど、だからといって運転室に入れていい訳はない。次の駅で妻に引き渡したというのだけれど、妻がいたのだから、なぜ発車前に引き渡すことができなかったのだろうか? まさか、懲戒解雇になるほど事態が大きくなるとは思っていなかったのだろう。おそらく運転士自身の”判断の物差し”では、一駅くらい乗せても大丈夫だろうという判断だったのだろう。自分自身の「懲戒解雇」と電車の「遅れ」を天秤に掛けたとは思えないからだ。息子を運転室から叩き出して、妻に預ければよかっただけのことなのに。

 結局、懲戒解雇ということになってしまうのだそうだ。運転士一家の人生は大きく変わってしまった。今後の、この家庭はどうなってしまうのだろうか? 元運転士は、新しい職場を見つけることができるのだろうか? この子が成長して今回の事態を理解したとき、どう思うのだろう…となんてことを考えると、他人事ながら気になってしまう。

 自分の「判断の物差し」の正しさが試される瞬間は、ある日突然訪れる…という気がする。たいていの場合は、あとからなんとか調整はつくことは多いけど、今回のように何気ないことで人生を左右することがあると思うと、何だか複雑な気分になる。

Posted by ろん