1682 記憶の写真

定点観察

 一般的に、昔のことはどれくらい覚えているものなのだろうか? 僕は申し訳ないくらいに何も覚えていない。自分でもびっくりするくらいだ。誰かからエピソードを聞いても、そのほとんどは記憶にないので、共感できることなんて、かなりまれだ。だから、僕にとって、昔の友達に会って話に花を開かせるなんてことは、かなり難易度の高い課題となる。

 逆に覚えていることと言ったら、自分にとっても別に印象深いことではなくて、あまりに些細な、しかもわずか数秒間の出来事ばかりなのだ。例えば、小学校時代だったら「先生が教室に入る瞬間」とか、母方の実家で過ごした1週間の夏休みのうち、きちんと覚えているのは裏山に虫を捕りに出掛けようとしている瞬間とか…

 それはまるで、誤ってシャッターを切ってしまったピンぼけの風景写真のようだ。つまり僕の記憶は、動画ではなく画像として保存されている。その前後はまるで覚えていない。なぜこんなことだけを覚えているのか、自分でもまったくわからない。けれど、最近では、この風景が自分の記憶に留まり続けるだろうな…という予感というか予想ができるようになってきた。

 このピンぼけしている記憶のシャッターは、自分の意思で自由に切れるではなく、突然撮影が始まるようになっている。撮影の瞬間「この風景はきっと記憶に残るだろうな…」という気持ちが沸いて出てくる。できることならば、ずっと覚えていたいことであっても、記憶のシャッターが起動しない限りは、決して覚えてくれない。それは悲しいくらいに忘れ行く運命にある。

 辛いことや悲しいこと、楽しいことだって、どんどん忘れていく。何の記憶も残っていない自分って、いったい何なんだろう…なんて、少しだけ切ない気分にもなる。

 最初「記憶のシャッター」というタイトルにしたのだけど、これだとなんだか、扉のシャッターみたいな感じがしたので、タイトル変えました。

Posted by ろん