1681 いったいここから何を学ぶか?

■文学・評論,龍的図書館


私は日曜がキライ。

佐藤 遼子/著
扶桑社
1,300円(税込)

 近所の図書館で、昨日ふとこんな本を手にした。
 著者はまだ25歳という年齢なのに、これがまたかなり破天荒というと言い過ぎかもしけないけど、かなり自堕落なエピソードに驚きながら…ふと思ったことなど…。

 自分の相手に対する想いがいくら強くても、それが相手にとって負担ならば、それは迷惑だし、現代社会ではそれを「ストーカー行為」という場合もある。

 単純に好きとか嫌いとかいう想いだけで決着がつくのであれば、簡単な話だが大人になって来るにつれて、そうはいかなくなってくる。好きにも微妙な違いがあるのも当然で、それがお互いの求めていることが違えば、時間がたつにつれ、そのギャップは「気持ち」という”充填材”だけで埋めることができなくなってくる。

 この世の中には、さまざまな”充填材”がある。例えば、お金であったり、地位であったり、子供であったり…。そもそも何かで埋めようと思わなければ、ふたりの関係はそれでおしまいである。また、そうした”充填材”のネタが切れてしまった場合も同様だ。
 もし崇高な愛があるとすれば、そうした”充填材”を必要とすることはないだろう。なにせギャップがないのだから、埋める必要もないのだ。

 人の気持ちは移ろいやすく、決してとどまることはない。わかってはいるけれど、それはたいていの場合、移ろってから?はっきり身にしみてわかるもので、移ろう前にはなかなかわからないものだ。その本に、こんなことが書いてあって、ドキッとした。

 「これから幸せが始まると思ったときが、幸せの絶頂」

 なんだって…。 うわっ…なんだか、やたら暗い話になっちゃいましたけど、心配して連絡してこなくていいですからね。元気ですから。

 …振り返って改めて自分の文章を読んでみたら、この本の感想から、なんだか離れてしまってますけど、あんまり気にしないでください…