1608 何か失ったモノは…?

定点観察

 インターネットが、仕事にも日常生活の中にもすっかり入り込んできて久しいけれど、最近その時間はますます長くなってきている。外出先で、携帯電話で時刻表サイトにアクセスしている時間なんかも含めたら、それこそ四六時中(…考えてみたら面白い表現だな、なぜ、四と六にどういう意味があるんだろう…)、インターネットを利用していると言っても過言ではない。

 ほんの数年前までは、このような手段そのものが存在しなかった(強いて言えば、パソコン通信くらいかな)のだから、一日のうちで大きな部分を占めているインターネットの利用時間そのものが、ごっそり空くことになるわけだ。 もし、いまだにインターネットが存在しなかったとしたら、この膨大な時間は何に当てられているのだろうか?

 もちろんインターネットが見聞や人と人とのつながりを広げる効用があるのはとてもよくわかる。得られたことも少なくない。たくさんの方達と知り合いにもなった。けれど、インターネットを見るのに使われる膨大な時間と引き替えに、失ってしまったものはないだろうか? インターネットなどなく、何にもすることがなければ、どうせ、ボケーッとテレビでも見ているような気もするけど、もしかすると、何か大事なモノまで失ってしまっているのではないかと思えてきてなんだか怖い。
 その大事なモノって何か?と聞かれても、よくわからない。もしかすると何にもないのかもしれない。余計な心配なのかもしれない。

 で、「四六時中」を調べてみた。

 かつては「二六時中(にろくじちゅう)」と言ったようだ。それを今風に言い直したものというのが辞書の解説だった。なんだ?今風って…ということで、この二六時中を調べてみた。
 …昔は、一日を昼六時、夜六時に分けた、それを二つの六時で「二六時中」となったというのだ。なるほど、それで、今は二十四時間制なので、四×六時で四六時中か…うまいこといったもんだなぁ…

 …なんてことも、インターネットならばあっという間にわかる。もちろん、こんな言葉であれば、辞書や事典をめくればわかるのだけど、すぐにその場で気になったことが解決するという便利さは代え難い。

 こんな事例だけを見ている限りでは、そんなに心配しなくてもいいような気もするのだれど、やっぱりなんだか気になるのだ。

Posted by ろん