1540 またまた…

定点観察

 この手の記事が続くので、読む皆さんは、ちょっとつまらないかもしれませんけど、また見つけてしまったので、おつきあいください。
 今日の日経ビジネスのウエブサイトに、「JR西日本、ブレーキなき組織の暴走体質」 なんていうタイトルが出ていた。ちょっと長いけれど、その一部を引用する。(日経ビジネス「JR西日本、ブレーキなき組織の暴走体質」

「魔のカーブ」。それは100人超の死者を出したJR西日本の尼崎脱線事故現場ではない。大阪府の南端、同社の阪和線にあった。
大阪の天王寺駅を出発した特急「オーシャンアロー」は、阪和線の終点、和歌山駅を目指して61kmをノンストップで走り抜けていく。そして直線を時速120kmで飛ばして和歌山県との県境に近づいたところで、列車は急ブレーキをかける。大きく左に旋回し、カーブの途中にある和泉鳥取駅に突っ込むように通過していく。
「ノロノロ運転で走る時代の路線だよね」。運転士は苦笑する。
特急が走る路線に、これほどの急カーブが存在することには訳がある。
阪和線が開通したのは1930(昭和5)年のこと。大阪の中心から南へと延びるローカル線は、そもそも時速120kmもの高速で走ることを考えて敷設されていない。「103系」という40年前に開発された列車が、今でも現役で走っているほどだ。
ところが、時代が変わって「鈍行列車」と同じ線路の上を、特急や快速が走り抜けていく。特に、94年から関西国際空港へのアクセス鉄道となると、特急や快速の本数は急増した。18年前の民営化時に平日124本だった快速列車は、今では倍の数に上る。過密ダイヤ、長い直線の後の急カーブ、そして新型自動列車停止装置(ATS-P)の未整備区間…。和泉鳥取駅は、尼崎脱線事故の状況と酷似している。

 はぁ…またこんな記事か…と、いちいち突っ込んでみたくなる。
 阪和線は、私鉄の阪和電気鉄道として建設された当初から、並行して走る南海鉄道と競合することがわかっていたため、徐々にスピードアップし、1933年(昭和8年)12月に天王寺-東和歌山間を、なんと45分で走り抜けていた。平均速度(表定速度)81.6km/hは、当時の最高記録であり時速100km程度はごく普通の速度だったことになる。戦後も長きにわたってその記録は破られなかった。そういう面から見ると、阪和線が一般的なローカル線とは異なることは明確で、当時から高速指向の路線だったのだ。確かに、戦前から比較すれば、列車本数は増えているし、ATS-Pの取り付けもできていない点は、他の路線と同じだと言える。一部の区間が、直線の後の急カーブになっているに過ぎないだけで、酷似というほどでもない。

 こういう記事を見ると、やはり最初から批判をするために書かれたんじゃないかとしか思えない。
 今回の問題の原因は、JR西日本という組織そのものにあったとは、これまでの報道を見る限りでは、ほぼ間違いがない。でも、その問題を引き合いに出すために、誤った情報や不安を煽るような表現は、やはりどうかしていると思う。

参考
 JR西日本「鉄道いまむかし 駅とともに発展した和歌山市
 wikipedia「阪和電気鉄道

◆6290歩 / 最近東京はどうも肌寒い。社内の室温も低い感じだったし、なんだか一日中寒かった気がする。

Posted by ろん