7875 鑑賞無料の展覧会鑑賞

東京都美術館で開催中の「都美セレクション グループ展 2025」を鑑賞。
この企画展は、東京都美術館が公募し審査を経て選ばれた3グループによる「褻(ケ)に触れていく」、「感性が自然に擬態する」、「パブリック・ファミリー」から構成されている。

各展覧会の並びがよくわからず、どれから観ているのかわからなかったが、3つの展覧会のひとつ「パブリック・ファミリー」 から観始めたようだ。
まず最初にあったのが、”玉入れ”だった。
この《にぎい、こん!》という作品は、家族の一大行事であった運動会がテーマ。
壁の絵は、早朝に家族のためにおにぎりを握る人をイメージしたそうで、その手前には運動会らしい”玉入れ”。
せっかくなので自分もやってみた。
やった記憶はないので懐かしさみたいなものは感じなかったが、単純に楽しかった。

その奥の作品群…
最初よくわからないまま見ていたが、作品などに書かれていることを手がかりに調べてみると、仙台の終戦後の応急仮設住宅として作られた「追廻(おいまわし)住宅」のことだった。
背景がわからなかったので、いろいろ検索してみると、ボタンの掛け違いから、ずいぶん長らく問題が続いていたようだ。
《わたしが・いる・ところ》は、日本の家族制度の変遷を示す年表がズラッと並んでいる。
なかには、以前自分が取り上げた件なども出ていて、無意識ではあるが自分も身近に感じていたことなのかもしれないと思った。
こども家庭庁の設置や、選択的夫婦別姓制度の検討など、家族を巡る議論や制度の変化は続いていくが、考慮しなければならないことが多すぎるというイメージも持ってしまう。

《Singing Together in a Museum》という一連の作品群のテーマは、1974年4月20日、東京国立博物館にで開催されていた「モナ・リザ」にスプレーを噴射した事件だ。
事件を起こすきっかけになったのは、開催前に示されたこの注意書きだったという。
「乳幼児づれの方その他付き添いを必要とする方は、待時間が長く、また会場での混雑が予想され、事実上観覧が困難と思われますので、ご観覧をご遠慮ください。」
当時もかなり議論を呼び、障害者とその付き添いだけを無料とする「身障者デー」を設けると発表したが、今度は「一日だけの特別扱いは障害者差別」との批判を浴び、開催初日に前述の事件が起きる。
スプレーを噴射したのは障害を持つ女性だった。
時代を感じさせる内容だが、実際のところ、現在もこうした問題は続いていて、いろいろ考えさせられる。
ちなみに、こちらの作品は撮影禁止だった。

次の展覧会「褻(ケ)に触れていく」へ。
西洋の静物画では宗教的な意味を持ったもの、珍しいもの、豪華なものが描くモチーフとして選ばれるのに対して、江戸時代後期の日本の画家は、最初こそ西洋を取り入れてたが、次第にモチーフの個数も少なくなり、最終的には染みだらけの壁に使い古したちゃぶ台、割れた陶器などを描いていったそう。
作者は旧料亭にあったちゃぶ台などモチーフにして、絵筆をカメラに換えて「静物畫」を描いたそう。
写真なのに、絵画だと思ってしまった。
特に意識しないまま3つ目の展覧会「感性が自然に擬態する」へ。
特に印象的だったのが、”ひび割れ”を取り入れた安田萌音の作品。
一般的な絵画と全然違うようでいて、実は土が乾くという現象は、絵の具が乾くことで定着するという点で同じなのだ。
ひび割れもまた絵画的な現象であり、自然の力が現れるひとつの形なのだという。
なるほど、いろいろな見方があるものだ。

東京都美術館に続いて、芸大美術館にも足を運んでみた。
こちらの陳列館で開催中の「日本画第二研究室 素描展」を鑑賞。
研究室の学生と教員によるさまざまな「素描」を紹介する。
素描は、絵画などの下絵や習作として描かれることが多く、完成作品の影に隠れる存在だが、それだけに作者に身近な存在でもある。
素描から想像を膨らませるという感じの鑑賞になっておもしろかった。
どの作品も、さすが芸大と思わせるものばかりだったが、一方、たとえ教員だからって素描が素晴らしいとも限らない…ということも感じた。もちろん、見方の問題かもしれないし、完成作品でもないから、ここで評価するのはおかしいのだけど、いろいろな思いや過程があって、作品が生まれていくのだということはよく分かった。







