こんなものまで運んだ! 日本の鉄道/和田洋
- こんなものまで運んだ! 日本の鉄道
- 和田洋
- 交通新聞社 (2020/12/15)
母の実家は、岩手県和賀郡湯田町(現在の西和賀町)にある、陸中川尻駅(現在のほっとゆだ駅)が最寄駅だ。
夏休みに家族で帰省したとき、ときどき駅まで連れて行ってもらった。
そのときとても印象的だったのは、駅の側線に何両かの貨車が留置されていた光景だった。
そもそも身近に貨物列車はあまり走っていなかったし、もし見かけてもたいていの場合は通過してしまうか、仮に止まっていたとしても遠くで眺めるだけだったが、ここではかなり間近に見ることができた。
なんなら連結器に触れるくらいの距離だ。
そのときの光景はいまでも強く印象に残っている。
それからウン十年の時が過ぎた。
現在は貨物列車といえば、ほとんどがコンテナ列車ばかりだが、当時見た貨車は、いまではほとんど見られなくなった形式ばかりだった。
積載する内容に合わせた貨車が、日本中を縦横無尽に走っていたのだ。
前置きが長くなってしまった。
本書は、乗客の手荷物が由来の「荷物輸送」と貨車単位で輸送する「貨物輸送」について、これまでどういったものを運んできたのか、そして、その輸送にまつわるさまざまなエピソードを紹介している。
ざっくりとはわかっていたつもりだったが、知らなかったことが多かった。
荷物にしても貨物にしても、どちらも膨大な手間を時間を掛けて運んでいた。
極端なことを言えば「片っ端から載せて下すを繰り返す」といういまでは考えられないほどの“無駄”に思える作業だが、当時はこれしか選択肢がないのだから仕方がなかったのだ。
荷物列車のなかには、稚内発京都行きが、実に3日もかけて運転されていたこともあった。
荷物輸送は、1986年(昭和61年)に廃止されてしまうが、現在もその名残があるという話はとても興味深かった。
それは、当時荷物取扱基準規程に記載されていた、小荷物として受託できないものとして「猛獣及びヘビの類」があったという。
この「猛獣及びヘビの類」という項目が、現在のJR東日本においても記載があるのだ。
調べてみたら、東京メトロにもこの項目があったから、きっと旧国鉄の規程を参考にしたのだろう。
動物の輸送は、馬、魚、ウナギ、ヒヨコ、蜂などの実例も興味深かったし、そういえばどうなったんだろういったさまざまな実例の紹介もあって、いずれの長続きせず、時代の流れについていけなかったことも多かったようだ。
・極めて短期間で終了してしまった、自動車輸送
→ 運賃の高騰、ダイヤの乱れが多発、汚れや傷が問題に
・トラックをそのまま貨車に載せて運ぶピギーバック輸送
→ 運賃がトラック込みで計上、大型トラックに対応できないため終了
・ドライバーと一緒に乗用車を運ぶカートレイン
→ 自動車の大型化で積載できない車種が増えたため終了
美術品、遺体など変わった輸送なども紹介されていて興味深く読んだ。
新聞や雑誌なども主要な荷物のひとつだったそうで、付録の増える正月号は特に大変だったそうだ。
1956年(昭和31年)の正月号の例が取り上げられていたが、このとき運べたのは通常の定期運用は4割で、残りは臨時の荷物車の増結、貨車代用で乗り切ったのだという。
現金の輸送も“荷物”として扱われていて、1981年(昭和61年)函館駅で現金5000万円をニセの車掌に盗まれてしまったということがあったそうだ。
初めて聞いた事件だったが、こちらは結局未解決のまま時効となったという。
近年まで鉄道が主要な輸送手段だった郵便についても詳しく紹介。
また、比較的最近の話も取り上げられていて、こちらは貨物だが、東日本大震災の際のガソリンの迂回輸送などの話もあった。
コンパクトな新書ではあるが、とてもボリュームのある内容でとても読み応えがあった。