6681 千羽鶴
こういうニュースを見かけるようになってからは、千羽鶴を見ると複雑な思いに駆られる。
ウクライナ大使館に「千羽鶴」を 平和願い折るも寄贈断念、発起人の胸中は
千羽鶴は「平和のシンボル」として、長く日本で親しまれてきた。災害からの復興を願い、自治体に寄贈されることもある。しかし、東日本大震災(11年)など大規模な自然災害が多発する近年では、被災地に贈られる千羽鶴が、必要物資の供給を妨げる「ありがた迷惑なもの」として認知されるケースが目立っていた。
かつて、こうした“気持ち”を形にするというのは、まったく自然に受け入れられてきたことだと思う。
この記事にもあるように、あまりにも災害が多すぎるせいなのか、千羽鶴を受け入れるような気持ちの余裕がなくなっているのかもしれない。
そして、ふだんから、あらゆることで効率化が求められ、“余裕”は“無駄”と判断される時代になっているということも影響しているかもしれない。
少し寂しい気もするけれど、時代は変わったのだ。