6864 背の順の整列も差別なのか 

物思いに耽る(雑感),社会・政治・事件

最近は、これまであまり意識されてこなかったことが、”ハラスメント”だとか”差別”と言われるケースが増えて来たように思う。

もちろん、こうした世論の変化によって救われる人も多いと思うが、こんなことも差別となるのか…と思ったのが、これだった。

なぜこの苦しみに気づけないのか…「背の順の整列は差別」に猛反論する人が完全に見落としている事実

背の順に並ばせるのは差別ではないか。そんな現役教員の松尾英明さんの意見がテレビ番組などで次々に紹介され大きな波紋を呼んでいる。賛成派がいる一方で反対意見も少なくないが、松尾さんは「反対する人々が見落としている重要なポイントがある」という――。

別に気づいていないわけでもないし、たしかにそういう見方もないとは言えないとは思う。

でも、これは並んだ時に前方の視界を確保するという点で一定の合理性があるという点は間違いがない。

”自分で変えることのできない”身体的特徴による差別という見方もしていたが、これは男女であれ、五十音順の氏名であれ、生年月日であれ、”自分で変えることのできない”という点では同じなわけで、なぜそこに、一定の合理性のある、背の順を加えるのか理解しがたい。

背の高さ(低さ)に対して揶揄することは、間違いなく誤りであり、そこを批判されてしかるべきだが、背の高い順に並ぶこととは、まったく別の話だと思う。

この記事を書いた人はこう言っている。

苦しんでいる人がいるとわかったから、変えよう。筆者の主張はただそれだけである。もちろん周囲には筆者と同じ意見を持つ教員や保護者も多い。彼らも日本における「背の順」意識の植え付けは人間形成上よくないと考えている

もちろん、背の高い順という並びに対して、苦しんでいる人がいるのも理解できる。

しかし、前述のような別の並び方をしたらどうか? 今度は五十音順の並びはいつも前になって嫌だとか、4月生まれだから嫌だという意見も出てくる。

それも変えよう…ということだろうか。

じゃあどうしたらいいのだろう?

記事はこのように締めている。

 学校が変だと感じている、あるいは嫌いだったという人は大人の中にも一定数いる。そうした感覚は、おそらく正しい。しかし、自身の過去への否定は無意識的に拒絶を生むため、受け入れがたい。だから、そこについては、考えないようにしたいのである。「寝た子を起こすな」とは、そういうことである。
しかし、筆者は起こす。雪山の遭難時ではないが「寝たら危ないぞ!」と揺り動かして頬を叩いてでも起こすつもりである。

この考え方自体は否定するつもりはないし、背の高い順にまったく問題がないとも思わない。

寝た子を起こしてるだけでは、何の解決もしないとも思う。

この記事を書いた人は、公立小学校教員だそうだが、実際に現場ではどういう解決策を考えて実行しているのかに興味が出てくるが、記事にはそれは載っていなかった。

Posted by ろん