[社会の窓]3.11とツナ缶
スーパーの売場でツナ缶の売り場を見掛けて、ふと、5年前のことがよみがえってきた。
2011年3月11日、東日本大震災の発生以降、近所のスーパーから次々と商品が消えていった。
そしてその状況は、被災地のほうが深刻だということが、ニュースなどで伝えられたとき、勤務先の会社でも、被災地に支援物資を届けよう…という話が持ち上がった。
自宅には適当なものがなかったので、出社前にスーパーへ寄ってみることにした。
当時、計画停電で、ふだん通りの出勤ができず、朝の時間に余裕があったからだ。
「もしかするとなくなっているかも」…と思いつつ、がらんとしたスーパーの商品棚で見つけたのが、ツナ缶だった。
ツナ缶なら、調理が必要なく、すぐに食べられる。
自分の買ったツナ缶は、会社経由で被災地へ送られた。
あれから、もうすぐ5年。
身近では、あのときの混乱がウソのように、そして震災のあったこと自体、ずいぶん過去のできごとのようになっている感もある。
あまり”節目”だから…と騒ぎ立てるのもどうか…と思うけど、こうでもしないと思い出さないものかもしれない。
”自分のこと”として意識することによって、いつ前も忘れずにいられるということもあるのかもしれない。
たとえ、それがツナ缶でも。