4567 二つの事件で見えていない何か…
東京都日野市で小4男児の“首つり遺体”が発見されたという痛ましいニュース(キャッシュ)を目にした。
男児は、全裸で両手と両足を縛られた状態だったというが、記事のなかで気になったのは、これだ。
男の子に外傷はなく、現場に争ったような跡がないことから、警視庁は自殺と事件の両面で捜査しています。
自殺と事件の両面って…
小学4年生が、自ら全裸となり両手足を縛られた状態となって首を吊ることを、ひとりでできるかもしれない…ということか?
もうちょっと詳細を知りたいと思ったら、このような状態だったという。
いくら結んだひもが緩かったとか、周囲に争った形跡がなかったからといって、自殺が選択肢に入るというのは、かなり無理を感じる。
しかし、それでも”自殺”という選択肢を残すというのは、我々に見えていないなにかがあるのかもしれない。
一方、昨日のこのニュースにも、相当な違和感を持った。
大阪で起きた、死亡保険金目当てに当時小6の長女を焼死させたとして、無期懲役が確定した母親と内縁の夫に対する刑の執行が停止され釈放されたというニュースだ。
放火ではなく自然発火の可能性があるということが裁判所に認められたという。
ただどうしても、いくつもの不可解な点が気になって仕方がなかった。
- 当時多額の借金がありながら連れ子である娘に、1500万円もの死亡保険金を掛けるか?(家族も入っていたとはいうけれど…)
- 内縁の夫が娘に対して性的暴行を加えていたことを認めている…
- たまたま自然発火した時間に、もっとも危険な場所に娘がいること自体が不自然…
これまでの冤罪事件は、犯人とすることに相当な違和感を持ったが、今度の件は、それとはまったく逆のように感じる。
日野の事件もそうだったが、この大阪の事件も、感覚的には、ある一定の方向というか判断が定まってくる気がする。
しかし、いずれにおいても、それとは異なる判断や選択肢が登場している。
きっと見えていないなにかがあるに違いない。
これは、実は我々に見えていないなにかがあるから…?なのかもしれないし、特に、後者の事件は、決定的な証拠がない限り、罪を問うことは許されない。
けれど、どうしても違和感だけが残ってしまう。