恋する文化人類学者/鈴木 裕之

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恋する文化人類学者
鈴木 裕之
世界思想社 2015-01-09

by G-Tools , 2015/04/25

 

先日も、ちょっと記事にしたが、外国人から見た日本礼賛番組が花盛りだ。

日本のことを詳しく知らない外国人が、日本に興味を持ち、日本を好きでいてくれることは、日本人として嬉しい。

逆に、彼らのことを日本人はどれくらい知っているのだろう?

欧米はともかく、アフリカ大陸の彼らについては…?

文化人類学者が、アフリカ大陸にある国のひとつ、コートジボワールに渡り、フィールドワークで研究を続けるうちに、現地女性と恋に落ち、結婚する。

その著者自身の経験を通じて、ふだん意識することのない文化人類学の概念や方法論を楽しく学ぶことができる。

両親が日本人で、日本に生まれ育つと、人種や民族といった発想は希薄…というより皆無といっても過言ではないだろう。

また、アフリカの人々は、古くから現在に至るまで、文字が読めない人が多いということについて、それがそのまま劣っている…とか、歴史の伝承ができないのではないか…と思ってしまうというのも、早計だ。

文字として記録が残っているからといって、それが正しいという保証はないのだ。

文字がなくても、きちんと伝承する方法がある。

語り部の存在だ。語り部たちによって歴史は、記憶され伝承されていく。

そして、語り部は、鉄や革を扱う専門家と同列…つまり、“職人”としての地位が確立されているところが面白い。

著者が結婚したのは、そうした語り部の家系に産まれた娘であった。

結婚式 は、実に、8日間も続く。

その間、それぞれの親族同士が日本で言うところの結納金の額でぶつかり合い、一方で、お祝いの歌と踊りが繰り広げられる“壮絶”なものだ。

一瞬、不可解に思えるこうしたやりとりも、きちんと意味があるところが興味深い。

文化人類学の目的は異文化を理解することにある。

我々の目から見て「奇妙」なことが、別の視点から眺めたときにじつは「合理的」であることがわかる。この世にはさまざまに異なる視点が存在することおであり、人類の一員たるわれわれはそのことを具体的に理解し、「異なる」ということを受け入れられる広い心を持たなければならない。
(中略)
人間とは分割する動物。分割こそが文化の基本である (p.164、p.166)

文化人類学の力を借りて、文化の見方や考え方が分かってくると、「結婚式とは未婚女性を既婚の成熟した女性へと変化させる儀式」なのだ…という理解によって、なるほど…と思う面も出てくる。

ふだんあまり意識しない世界の話で、驚きの連続だった。

とても楽しく読ませてもらった。

Posted by ろん