4304 テロの背景にある宗教を思う
日本では「宗教」というと、ちょっと距離を置く傾向が強いと思う。
どちらかというと、あまり良い印象はない…というのが、一般的な見方ではないだろうか?
ましてや、宗教上の理由から引き起こされる、さまざまなテロのニュースを聞くと、よけいにそう感じてしまう。
いくら敵が憎いといっても、自爆テロのような行為はどうしても理解できない。
もちろん、こういった行為に及ぶ人は、彼らなりの論理で、何の違和感も持たないのだろうけれど…。
今回、パキスタン北西部にある学校がイスラム武装勢力に襲撃され、生徒132人、職員9人が死亡したテロ事件。
この学校に通う子供たちの親は、パキスタン軍に所属する軍人で、今回襲撃した、イスラム武装勢力の掃討作戦に参加しているらしい。
報復の矛先が、子供たちに向かった形だ。
こういう事件が起こると、どうしても絶望的な気分になってくる。
話し合いで解決するとは、とても思えないからだ。
歴史上もっとも残忍なテロ集団とも言われている、イスラム国の振る舞いを見ていると、ますますそう思えてくる。
こうした思想や支配の先に、本当に目指すべき世界が待っている…とはとても思えない。
でも、それは、あくまで部外者の見方にすぎないのだろう。
何か問題や対立が起きているとき、その相手の立場になったつもりで考えれば解決の糸口が見えてくる…はずなのだけど、これに関して言えば、まるで意味がないように思えてしまう。
と、同時に思ったのは、宗教が悪いのではなく、あくまできっかけに過ぎない…ということ。
そして、宗教が、実は人間が普遍的に持っている残虐性を、あぶり出してしまっているのかもしれない…と。
そう考えると、けっして自分には無関係ではなく、どこかつながってる話のようにも思えてくる。