3200 励ますことの責任(震災31日目)
昨日、こんなブログが紹介されていた記事を読んだ。
被災者の本音がブログに投稿される 「おまえらは(被災者)は1年ハワイでゆっくりしてきな」と言われたい
(…前略、以下抜粋)
おまえ、家ないのに頑張れる? 服も漫画も、化粧道具も、アルバムも、大事にしてたもんも、全部いっきに無い。よし、頑張ろう! って思える?す げぇ言われてるんだけど、CMとかで、頑張れ頑張れとか。ちょっと気を許すと、「一緒に頑張ろう!
1人じゃない!」とか言うわけ。いや、おまえら家あるじゃん? そのCM撮ったら家帰ってるじゃんって。仕事もあるじゃんって。
(…後略、以上抜粋 ~引用した記事)
「頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。」というタイトルで始まるこの記事は、被災者の気持ちの一端を垣間見せられた気がする。
“「頑張れ」は逆効果”
つらい状況にある人には、「頑張れ」という言葉は使うべきではないという意見があるのは、よく知っている。言われると、それがかえって負担になる…と。
最近、中身が薄かったり、空っぽのような「頑張れ」があるような気がしてならない。
“不謹慎”といって自粛を迫ったり、にやけ顏で「ひとつになろう」なんて、テレビで言っているタレントを見ると、ちょっと嫌な気分になってくる。
でも、「頑張れ」という励ましの言葉には、気持ちや思いが込められることも間違いない。それで励まされることだってある。
ただ「頑張れ」という言葉を使うことが合っている人もいれば、合っていない人もいる。
100億円寄付する人がえらくて、レジでおつりの10円を寄付する人が、その人より劣っているなんてことはない。
人には、それぞれ役割があると思う。
だから、そうした役割をきちんと果たしていれば、「頑張れ」などとと言わなくてもいいし、気持ちや想いを伝えるために、あえて「頑張れ」と言ってもいいと思う。
頑張れという励ましには、力があると思う。それを軽々しく使ってほしくない…と、この記事を読んでそう感じた。
昨日、そんなことを思っていたら、今朝のニュースでこんな記事が載っていたことで、その思いを強く持った。
「がんばれしか言えないのか」 菅首相が視察の石巻で住民が不満の声
漁師の男性(34)は「首相には笑顔で握手され、『がんばってください』と言われた。それしか言えないのだろうが、自分たちが欲しいのはそういうことではない」。(Web魚拓によるキャッシュ)
人にはやはり役割というものがある。こういう事態だからこそ、その役割を果たすことが強く求められる。
“求められている”ということは、期待する側とギャップがあるということだ。
明日で震災1ヶ月。
いったい、いつになったら、そのギャップが埋められるのだろうか?