3143 迷いの天秤
悶々とあらゆることを考えるのは、僕の意識があるころからの性格だ。
これで、なんらかの解まで導き出し、それを実行に移していれば、全く違った人生を歩んでいることになるかもしれないが、あいにく、“考えるだけ”にとどまっているため、現在に至っている。
毎日毎日、迷いながら生きている。
そうした迷いを天秤に掛けていく。
優柔不断でかなり不正確な天秤なので、迷いを置くタイミングによって傾く方向がまったく逆になることがある。
なので、せっかく迷いを天秤に置いても、意味がないどころか、かえって迷いを増長させることすらある。
何度か書いたことがあると思うが、迷いの一端は、「自分に正直に生きたい」と、心のどこかで思っていることにある。
ただ、「自分に正直に生きる」ということは、「他者を傷つけて生きる」と同義だと思っている。つまり、表裏一体の関係だ。
これを意識した瞬間、自分が自分ではなくなり、他者の影響下に入るのだ。もちろん、思いやりとか、その人のため…と考えるのは、別に悪いことではない。
しかし、月並みな表現だが、「自分の人生は1度しかない」…というのも、間違いのない事実なのだ。
自分を律することも大事だろう。でも、これは自分のためなのか? 他者の目を気にしているだけではないのか?
ストイックに生きることが、果たして自分にとって心地よいことであるかどうか?
振り返って考えたときに、自分で自分を律したことを後悔しないか?
最近、この天秤に載せる迷いをもうちょっとシンプルにしてはどうか?…と思うようになった。
いろいろな要素を天秤に載せてしまうから正確に判断できないのだ。だから、判断基準を明快にすればいい。たったひとつの尺度で考えれば、天秤は正しく働くはずだ。いろいろな人との会話から、ひとつの基準を考えた。
「それは、自分が心地よく思えることかどうか?」
やはり自分の人生は自分のものだ。“自分がどうしたいのか?”を優先するのは、やはり大前提だと思う。
当然、周囲に与える影響を意識しないわけにはいかないが、それがそのまま自分を律する…ということにはならないはずだ。
あくまで、自分が心地よいと思う行動をすればよい。
ただ、わがままとは違う。周囲との関係を含めて、自分が心地よく思う行動をするということだ。
あれ?かえって難しくなった?