テレビの嘘を見破る/今野 勉

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4106100886 テレビの嘘を見破る
今野 勉

新潮社 2004-10
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 川に落ちた子象を親象が長い鼻を使って引っ張り上げるテレビCMを見たことがある人も多いと思う。あれは、調教師によって演技されたもので、全部で5頭の象を使い10時間もかけて編集されたものとのこと。
 「テレビの嘘を見破る」という本の冒頭にこの話題が取り上げられている。新聞のCMを紹介するコーナーでも取り上げられたらしいが、このCMを「やらせ」として問題になったとは聞いたことがない。CMだったから問題ないのか?よくわからないが、僕にはCMだからと流してしまうことに軽い抵抗を覚えてしまう。

 初日に釣れたのに最終日に釣れたとして盛り上がる釣り番組。ドキュメンタリー番組における長距離を走るバスの撮影で行きのシーンなのに、実際に撮られたのは帰りのシーン。薫製名人を訪ねて下ごしらえから完成まで一週間かかるというのでレポーターが、一週間後ふたたび現地を訪れるというシーン…実はレポーターが訪れた日にすでに薫製は完成しているとか…そういった「工夫」は枚挙にいとまがない。
 これらの工夫だって、結果的に本当の姿だと誤解させるようなことにつながるのだから、決して問題がないとは言い切れないと思うのだが…

 確かにドキュメント番組を作ろうとしたら、すべてその場で起きていることだけを記録することは不可能で、「再現」を織り交ぜないと成立しないという考え方は、確かにそういわれれば理解はできなくはないが「はい、そうですか」と単純に受け入れられるかと言えば、そうではない。
 
 あるとき、著者の所属する会社で制作した番組が、やらせであると指摘を受けた。
 フィリピンからマレーシアにかけて、舟を住まいとして漁で生計を立てている人たち(漂海民)を取材した番組で、「舟は借り物で普段はエンジン付の舟を使っている」とか「新婚夫婦が舟で暮らしてはいない」など、さまざまな指摘を受けたが、著者は「個別の事情より、より伝統的、典型的漂海民の生活を再現しようとしており、それはそれで正当なのだ」(p.165)という考えを持っている。
 つまり、この映像に資料的価値を風習や習慣の記録としての価値を見いだせるのだから問題ないという考えだ。

 果たしてこれでいいのだろうか?
 見る人が、その撮影された瞬間に、そうした人たちがテレビカメラの前に実在したと誤解されることは、問題ないのだろうか? 放送する側としては「あわよくば本物と思ってもらえるのであれば、それに越したことはない」くらいにしか考えていないのではないだろうか?

 再現や工夫は隠さずに、何らかの形できちんと公開すべきだと思う。そういう意味で、冒頭のCMの話は裏話としてきちんと公開しているのだから、何ら問題ないということになるし、資料的価値としての意味があるのならば、後ろめたいようなことはせず、堂々とこうした工夫をすればいいのだ。
 
(2005/6/1) 【★★★★☆】 -05/6/5更新