7963 館蔵品展「狩野派の中の人 絵師たちのエピソード」

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板橋区立美術館へ
板橋区立美術館へ

板橋区立美術館で開催中の、館蔵品展「狩野派の中の人 絵師たちのエピソード」を鑑賞。

狩野派に親しめるよう、絵師の人柄が伝わるエピソードやそれぞれの関係性が紹介されていて、作品とともに作者の人となりも楽しめる。

館蔵品展 狩野派の中の人
館蔵品展 狩野派の中の人
全作品撮影可能!
全作品撮影可能!
狩野探幽(銀治橋家初代)
絵師として最高位の法印に任され、江戸狩野派の繁栄の礎を築き上げる。
岡倉天心は「画壇の家康」と呼んだという。
天才伝説が残されていて、たとえば、こんなもの…
鼠を描けば猫が様子をうかがい、菊を描けば蝶が舞い、龍を描いて最後に目をいれると必ず雷雨となった。(碑誌)見たものをマメに記録する人だったそうで、鑑定の依頼で持ち込まれた膨大な作品を記録。各図には作品を見た年月日や所蔵者名、持参した者の名前、鑑定結果などの記録が残っているという。
《富士山屏風図(一部)》江戸時代17世紀
《富士山屏風図(一部)》江戸時代17世紀
《探幽縮図 東大寺大仏縁起絵巻(一部)》寛文3年(1663年)
《探幽縮図 東大寺大仏縁起絵巻(一部)》寛文3年(1663年)
英一蝶《投扇図》江戸時代17世紀
英一蝶《投扇図》江戸時代17世紀

英一蝶(安信の弟子 中橋家門人)
ときどき話題に挙がるが、ここでも登場。
破門されたと言われているが、狩野派で学んだことが、その後の彼の画業に大きく影響したことは間違いない。英一蝶《投扇図》江戸時代17世紀
以前、サントリー美術館でこの作品を鑑賞している。投げた扇が、鳥居の隙間を通り抜けようとしている瞬間を描いている。楽しそうな声が聞こえてきそう。

狩野典信《大黒図》江戸時代18世紀
狩野典信《大黒図》江戸時代18世紀

狩野典信(木挽町家6代目)
わずか2歳で当主となる。田沼意次と仲良し。家は隣で、意次の密議は常に典信の家で計られたらしい。もしかすると、典信の家で歴史が動いていたのかもしれない。狩野典信《大黒図》江戸時代18世紀
そんな彼が描いたのは、巨大な大黒さまだ。
もっと周囲の風景と合わせて撮ればよかったと、いまあらためて後悔している。

狩野融川寛信《桃花西王母図》江戸時代19世紀
狩野融川寛信《桃花西王母図》江戸時代19世紀

狩野融川寛信(浜町家5代目)
一説によると寛信が描いた扉風に老中が文句をつけたことに怒り、素人が口を挟むなと啖呵を切ってその場を去り、帰宅途中の籠の中で切腹したという。「腹切り融川」と呼ばれる
狩野融川寛信《桃花西王母図》江戸時代19世紀
左右には種類の異なる桃の花が描かれる

狩野栄信《雪月花図》江戸時代19世紀
狩野栄信《雪月花図》江戸時代19世紀

狩野栄信(木挽町家8代目)
江戸城内の能の鑑賞会の公務をサボって息子に押し付ける
狩野栄信《雪月花図》江戸時代19世紀
日本の風景の美しさを表す「雪月花」を中国の景色に置き換えて、新画題へ挑戦

狩野養信《群鹿群鶴図屏風》江戸時代19世紀
狩野養信《群鹿群鶴図屏風》江戸時代19世紀

狩野養信(木挽町家9代目)
日記には、腹痛等で公務を度々休む姿も記され、消化器系の持病があったと推測されているそう。
狩野養信《群鹿群鶴図屏風》江戸時代19世紀
中国の画家・沈南蘋の《鹿鶴図屏風》(東京国立博物館蔵)を模写したもので、実によく描けている。鹿の毛並みのフワフワ感も伝わってくる。

河鍋暁斎《骸骨図》明治時代19世紀
河鍋暁斎《骸骨図》明治時代19世紀

河鍋暁斎(表絵師 駿河台家 門人)
写生に力を注ぎ、神田川の近くで生首を拾って写したり、大火事の様子を写生し続けたりしたそう。
河鍋暁斎《骸骨図》明治時代19世紀
右は女性で左は男性。書画会などで即興的に描かれたよう。即興でここまで描けるのはすごい。

狩野正信(狩野派の始祖)
室町幕府の御用絵師として足利義政に仕えた。思ったままを口にする性格だったそう。
狩野正信《蓮池蟹図》室町時代15〜16世紀
中国絵画に倣った作品で、伸びる葦とカニの組み合わせは、中国の役人の採用試験である科挙の合格を意味し、立身出世の願いが込められているという。
蟹がとてもリアル。
狩野正信《蓮池蟹図》室町時代15〜16世紀
狩野正信《蓮池蟹図》室町時代15〜16世紀
リアルな蟹
リアルな蟹
帰りに寄ったコメダ珈琲店にて
帰りに寄ったコメダ珈琲店にて

帰りがけに寄った、コメダ珈琲でこんなポスターが貼られていた。

ついさっき見たような構図に、ちょっと笑ってしまった。

Posted by ろん