7773 展覧会「没後120年 エミール・ガレ:憧憬のパリ」

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サントリー美術館へ
サントリー美術館へ

サントリー美術館の展覧会「没後120年 エミール・ガレ:憧憬のパリ」を鑑賞。

昨年、同じように没後120年を記念した展覧会にも行っているし、エミール・ガレは、自分にとっても、けっこう身近な感じがする。

多くの作品が、植物や花、昆虫などをモチーフとしていることもあって、あまり小難しいこと?を考えなくても、鑑賞できるところや、そもそも、ガレが日本に対して関心を持ち、影響を受けた作品を多数作り出していることなど、日本人にとっても馴染み深い。

鑑賞を始めた頃は、天気も悪いせい?か、思ったよりお客さん少ないな…と思ったが、学芸員による展示レクチャーを40分ほど聴いて戻っても来ると、展示室内は、かなり混雑していた。

学芸員による展示レクチャー
学芸員による展示レクチャー
このあとお客さんが増えた
このあとお客さんが増えた

本展ではガレが万博の出品を重ねていくことで国際的な評価を高めていくとともに、万博によって日本美術への関心も高めていったようだ。

彼が最初に訪れた1867年のパリ万博は、日本も初参加だったのも、何かの塩かもしれない。

《花器「鯉」》のような、大胆な構図を見ると、やっぱり日本由来だろうなぁ…という感じはする。

1878年パリ万博出品だそうだ。

ガレ所蔵の備前焼の子頭を手本に制作されたという《獅子頭「日本の怪獣の頭」》は、なんともユニークだ。

《花器「鯉」》1878年
《花器「鯉」》1878年
《獅子頭形火入》と《日本の怪獣の頭》
《獅子頭形火入》と《日本の怪獣の頭》

がれ直筆の手紙が展示されていた。

びっくりするのは、その字の小ささ…。なぜこんな名刺サイズの紙に書いてるのかはよくわからないが、それにしても小さすぎる。

どこか神経質な性格を感じさせる。勝手な解釈だけど。

皿にリアルな虫を描くというのは、当時はこれでOKだったのだろうか?

ものすごく小さなガレの字
ものすごく小さなガレの字
《皿「草花」》1889-1900年
《皿「草花」》1889-1900年

もちろん、作品の素晴らしさはあるにしても、セルフプロデュース力もあったんだろうなぁ…と思わせるのが、1889年のバリ万博に作品を出品した際に、各器査員に向けた冊子を作り、自身の技法や道具設機における新たな試みまとめたそうだ。

そのアピールしている作品と、自ら解説した説明があった。

《蓋付杯「アモールは黒い蝶を追う」》1889年
《蓋付杯「アモールは黒い蝶を追う」》1889年
この作品を自ら解説
この作品を自ら解説

サントリー美術館で以前開催していた「エミール・ガレ展」を鑑賞したときに、なんだか気になったと、自分の記事に書いてあった作品が、この《大杯「くらげ」》。

当時は写真撮影がすべて禁止だったが、今回は自由となったので、こうしてあらためて紹介することができる。

見る方向や光の具合によって、深い海に浮かぶくらげと海藻の揺れるリアルな様子が感じれる。

《大杯「くらげ」》1898-1900年
《大杯「くらげ」》1898-1900年
なかもすごい
中もすごい

家具も何店か紹介されていたが、これらもガラスと同じで、とてもリアルに作り込まれていた。

ガレといえば、ランプという気もするが、今回は最後に紹介している《ランプ「ひとよ茸」》のたった1点だけだった。

家具も手掛けていた
家具も手掛けていた
《ランプ「ひとよ茸」》1902年頃
《ランプ「ひとよ茸」》1902年頃

作品数はそれほど多くはないものの、ここでは紹介しきれないくらいたくさんの作品と解説の写真を撮ったので、あとからいろいろ振り返るのはおもしろそうだ。

今回の展示作品とは直接関係ないが、学芸員によるレクチャーのなかで、興味深い話があった。

1894年にフランス陸軍大尉アルフレド・ドレフュスにスパイ容疑がかけられた”ドレフュス事件”だ。

当時フランス世論を大きく揺るがした事件だそうだが、ガレはドレフュスを養護したことで、フランスにおける立場が微妙になったらしい。

この事件、もうちょっと検索してみると、結局ドレフュスは冤罪となったそうだが、この事件の背景には、反ユダヤ主義があった。

それが、ユダヤ人国家建設を目的とするシオニズム、この思想及びそれに基づく諸運動が後のイスラエル建国へとつながる大きな流れが生まれたのがこの事件だったようだ。

Posted by ろん