[社会の窓]まったく余韻のないオリンピック
東京オリンピックが終わって、早くも1ヶ月が過ぎたが、もうずいぶん前のことのように思える。
というよりも、もう忘れかけてる感もある。
開催中こそ連日ニュースで時間を割いて試合の模様や関連する話題が取り上げられていたが、終わってしまえば当然ながらなくなってしまう。
メダル獲得のようなポジティブな話題よりも、一度も使われることのなかった臨時観戦席とか、膨大な維持費が必要な施設など、取り上げられるのは、ネガティブは課題ばかりだ。
余韻どころではないのだ。
オフィシャルパートナーだったヤマト運輸の宅急便のトラックに、オリンピック、パラリンピックのステッカーが、まだ貼られたままだったのを見つけた。
もともと、招致での贈賄疑惑、国立競技場、エンブレムのゴタゴタをはじめ、オリンピックの嫌な面ばかりが目についたうえに、極めつけは、コロナ禍で、なかなかこういう気持ちにはなかなかなれなかった。
ふと、前回1964年のオリンピックのときはどうだったのだろう?と思ったが、当時と今とでは、あまりに条件が異なり過ぎて参考にならないだろう。
おそらく日本で開催される“最後の”オリンピックは、人々の気持ちがまとめるどころか、分断してしまったというのが正直な印象だ。
札幌で冬季オリンピック招致をしようとしているようだが、さすがにもう無理だろう。