[社会の窓]面白がり方の本質
昨日見てきた「鼠草子」の始まりは、室町時代にまでさかのぼるそうだ。
人間との結婚に破れたねずみが、剃髪して出家し、「子阿弥」と名乗り、高野山で、殺生を悔い改めた猫の御坊とともに仏道修行に励む…いうお話。
そもそも、なぜねずみがこんなことをしてるのかということもさることながら、一緒に修行する相手がなぜ猫なのか?とか、ツッコミどころ満載だ。
おそらく、これはずっと昔からあったユーモアなんだろう。
そうしたユーモアの本質は、今も昔も変わらないのだと思うと、なんとも楽しい。