江戸しぐさの正体/原田 実
江戸の商人の間で広く共有された行動哲学だったという「江戸しぐさ」。
これが広く知られたのは、公共広告機構(現在のACジャパン)で、「江戸しぐさ」を、よいマナーとして推奨する広告を大々的にやっていたからだろう。
僕もよく記憶している。
たとえば、こんなしぐさ…
こぶしうかせ(こぶし腰うかせ)
複数の人が一緒にすわるときのしぐさです。ひとりでも多くの人がすわれるように、みんなが少しずつこしを上げて、場所を作ります。かさかしげ
かさをさした人同士が、すれちがうときのしぐさです。相手をぬらさないように、たがいのかさをかたむけます。
現代にも通用するマナーが、江戸時代に、すでにあった…ということになる。
そして、こうした広告によって、無意識のうちに、 江戸しぐさが実際に存在しているものだと思っていたら…。
実は、すべて事実無根だった…となると、ちょっとビックリだ。
本書は、江戸しぐさを徹底的に検証し、それが虚偽であることを丁寧に解説している。
たとえば、先述の「こぶしうかせ(こぶし腰うかせ)」では、そもそも、江戸時代、渡し船には 電車やバスのような長椅子はおろか座席すらなく、船底に直接しゃがむように座るようにしていたという。またそもそも途中から乗るということもないため、こうした習慣が本当にあったのかという疑問が出てくる。
また、「かさかしげ」にしても、江戸時代、 傘自体少なかったようだ。主に頭にかぶる笠や蓑を用いることが多かったという。一方、傘は贅沢品であり、誰もが持てるものではなく、すれ違うこと自体がまれだったはずだというのだ。すれ違う相手も意識を持たなければ、この習慣は成り立たないわけで、たしかに違和感はある。
江戸しぐさは、これに関する、一切の歴史的資料、証拠がないことも妙だ。
これについて、江戸しぐさを広めたNPO法人によれば、「江戸っ子狩り」 「江戸っ子大虐殺」が、幕末・明治期に吹き荒れたからだという。
それはまるでベトナム戦争時、無抵抗の村民500人以上が虐殺された、ソンミ村虐殺事件のような状況であったというから、ただことではない。
そして江戸っ子を地方に逃がす手引きをしたのが勝海舟で、難を逃れた江戸っ子たちは、地方で「隠れ江戸っ子」となったのだそうだ。
こうしたことがあって、資料が一切焼き払われ失われたとという話だ。
もうここまで来れば、相当胡散臭くなる。
「江戸しぐさ」とは、あくまで、”江戸時代という設定(フィクション)を使った”現代向けマナー…と考えた方が良さそうだ。
正しいマナーを広めることは大事なことだけど、だからといって、史実かどうか疑わしい…いや、限りなくウソにちかいようなことを引き合いに出すのは、 やはりマナー違反だと思う。