4014 硫黄島産業…の続き
先日の記事でもちょっと紹介したが、新橋付近を歩いていたら、かなり古いビルがあることに気が付いた。
かつて、このビルのすぐ隣には、ほとんど廃墟と化した十仁病院があった。
この印象があまりにも強かったせいか、このビルには、ちっとも気が付かなかった。
あらためて、このビルを見てみると、外壁剥落防止のためのネットが掛けてあって表面が見難いが、装飾が施されて、かつてはモダンな建物だったことが推察できる。
ビルとしては現役で、1階は蕎麦屋、2階は麻雀店として使用されているようだが、それ以上のフロアにはテナントが入っていないようだ。
ビルの名前を確認。
堤?
この名前に聞き覚えがあった。

このビルのすぐ前にあるビルに「硫黄島産業」という会社が入っていた。なぜここに、そんな硫黄島の会社があるのか?ずっと気になっていた。
その後、看板から「硫黄島産業」の名前が消えた代わりに掲げられたのが「堤商店」だった。
調べてみると、硫黄島産業の入っていたビルは、“堤ビル”といい、堤不動産という会社が、このあたりのビル賃貸を行っているようだった。
注目すべきは、この会社の前身が、大正時代に創業した砂糖の卸問屋だったということで、ぴんときた。
あらためて調べてみると、硫黄島産業は、もともと硫黄島拓殖精糖会社といい、硫黄島でサトウキビの生産をやっていたのだ。
なるほど、おそらくは、砂糖繋がりだったことがわかる。
古い記憶が繋がるっておもしろい。