1685 本当の自分はどこに?

定点観察

 すみません。どうも今週は重めのテイストでお送りしている二番搾りですけど、せっかくですから、この雰囲気で突っ走ってみます。具体的に何があったというよりも、フィクションとして見てください。
 あまり重いことを考えたくない方は、読まない方がいいかもしれません(笑)

 以前こんなことを書いた。

 自分にとって信頼できる人がいたり、逆に自分を頼りにしてくれる人がいたり、自分と心が通じているな…と感じれば、大げさかもしれないけど、ここに自分のいる意味や価値、アイデンティティの存在を噛みしめることができる。僕が僕であることを認識する瞬間だ。さらに相手が自分の気持ちと重なったり共感する部分が多いならば、嬉しさ、楽しさは大きくなる。

 そうした期待をするあまり、毎日の生活を過ごす中で自分が「自分自身」を演じていることってないだろうか? 「自分というキャラクター」だったら、こんな感じで動くかな…という思いで行動するのだ。自分は自分であるはずなのに、その自分を演じる自分…わけわからなくなりそうだけど、共感してもらえる方もいるんじゃないかと思う。

 やはり嫌われるよりは、気に入られた方がいいし、ある程度、周囲の期待に応えられた方が、その環境で過ごしやすくなる。そういう意味でちょっとした「演技」もありだとは思う。それに「自分という役」は、結構便利なもので、長年の経験からだいたいのコツみたいなものはわかってるし、その役は周囲が期待する役回りになっていることが多いので、ハズすことは少ない。

 しかし。

 そうなると、どうしても「演技」する機会が多くなる。また自分が意識的に「自分役」を演じていたはずなのに、だんだん自分が「自分役」を演じることが前提となってくる。自分役を演じていたはずの自分が「自分」を演技することを止められなくなる。本当の自分を出しにくくなる。そもそも「自分役」でいることに慣れてしまい、本当の自分を忘れていく。

 「自分役」に縛られた状態…。

 自分と自分役とのギャップに気付き、いざ本当の自分に戻ろうとしても、周囲は「自分役」の自分でしか見てくれていないし、そもそも、ここまでくると本当の自分がどんなだったか記憶が薄れている。

 本当の自分はどこに行っちゃったんだろう?

Posted by ろん