[社会の窓]製鉄工場跡地
以前、何かのきっかけで、東京都板橋区に”製鉄所”があるというのを知ってちょっとびっくりした。
製鉄所といえば、海沿いに広大な敷地に作られているものとばかり思っていたからだ。
もっとも、ここで”鉄”を作っていたわけではなく、新日本製鐵の東京製造所(工場)で、千葉県君津市にある製鉄所から曳航式の鋼材艀によって材料が運び込まれ、高級小径シームレス鋼管というものを作る拠点だったが、昨年5月に閉鎖された。
ここは長らく「新日本製鐵東京製造所」と呼ばれていたが、住友金属との合併で「新日鐵住金東京製造所」となり、君津製鐵所との統合で「君津製鐵所・東京地区」、さらに統廃合と社名変更のため、最後は「日本製鉄東日本製鉄所君津地区(東京)」となった。
最後の正式名称だとよくわらないので、ここでは旧東京製造所と呼ぶ。
そう足を運ぶ場所でもないので、閉鎖後どんな感じになっているのかについては、なかなか知る由もなかった。
今日、久しぶりに旧東京製造所近くを歩いてみた。
正門付近から見た感じだと、まだ取り壊しは始まったばかりっぽい感じだった。
しかし、後ろに回ってみると、もう大部分の建物は取り壊されていたようだった。
まぁ、閉鎖からもう1年以上も経てば当然だろう。
ここの設立は1935年だそうだから、85年もあったら、ずっとここにあり続けるような気がしてしまうが、こういう建物とか設備というのは、実に、あっけなくなくなってしまうものだ。
旧東京製造所跡地は、落札した日鉄興和不動産によって、同社最大の物流施設になるとのこと。
コロナ禍のなか、物流が注目を集めているそうで、まさにその時流に乗った施設だ。
どんな感じで君津から艀で鋼材が運ばれてきたのだろうと検索するもののちっともヒットしないのだ。
こうした工場の様子を写真に残す人も少ないのだ。
どんどん変わる街の様子は、けっこう見落としているのだとあらためて痛感する。