紋切型社会/武田 砂鉄
「若い人は、本当の貧しさを知らない」とか「全米が泣いた」、「あなたにとって、演じるとは?」みたいな、一度ならず、何度となく見聞きしてきた、ありがちの”紋切り型”表現…。
あらためて考えてみると、ものすごく違和感がある。
けれど、これまであまり意識することもなかったし、こうした言葉が、抵抗なく使われているということは、それらを違和感なく受け入れる土壌ができているということになる。
その受け入れる土壌とは、いったい何なのか?
さまざまな具体例を挙げ、正面切って分析したのが本書だ。
東京オリンピック招致のスローガンだった、
「今、ニッポンには夢の力が必要だ。」
何気なく、そういうものかな…と思ってしまったけど、日本ではなくニッポンとカタカナにした点に、スマートに人を動かそうとする意図が見えるという。
日本は”国”のものだが、ニッポンは”みんな”のものだ…という意識になっている。
環境=エコ、国際理解=グローバル…といったように、かしこまった漢字をほぐし曖昧にしているという指摘は、もっともだと思う。
定義がぼやっとしているうちに、国や指導者の意図通りに操縦してしまおうという感覚。
カタカナ化で翻弄や奪取を試みてくる可能性…なるほど…。
「若い人は、本当の貧しさを知らない」
…と、かつての時代を生きた人たちの言葉…。
もちろん、そうした言葉は重くて、それを言われてしまうと次の言葉が出せなくなる。
けれど、以前から違和感を覚えていた。
これを著者は、当時のことを、若いたちが実際に確認しようがない点で、”ずるい”と言ってのけた。
現在から逃げ、歴史を知ることからも逃げている…と。
歴史が旧世代の安堵のためにばかり使われている。でも、歴史は現在を見るために使われるべきものなのだ(p.72)
これには、禿同。良記事。
このネット上でよく見かける「禿同。良記事。」にも、ツッコミを入れている。
いくら、禿同。良記事…と言ってても、必ずしも著者の意図が正確に伝わったかどうかはわからず、単純に心地よく映り込んだだけ…ということも言えるのだと。
「私はあなたと同じ位置にいます。」という承認。
大した議論もしていないのに、仲睦まじい感じを仰々しい記念写真で演出するサミットのような虚無感…という表現で、よく伝わってきた。
たしかに、何でもかんでも、予定調和でいいのか?という感覚はある。
いろいろな切り口があって面白い。
あちこちに、我が意を得たり!…という指摘もあった。
でも、ありふれたフレーズにいちいち立ち止まると、それはそれで、なんだかくたびれそうな気もしてくる。
楽に生きようとすることを許さない感じにも思えてきた。
紋切…ある種のフォーマットがあるからこそ、社会が回っているというのも事実かなぁ…と。
行きすぎるのもダメだけど、かといって、何でも自由でいいかというと、そうじゃない。
結局は、ありきたりの落としどころに行き着いてしまうことを"あえて"許容するくらいが、ちょうどいい気もする。
実際、本書の「おわりに」では、「今の僕があるのは」長く勤めてきた出版社の人たちが背中を押してくれたことや、本書の読み手が「本当の主役はあなたです」(24時間テレビより)といって、あえて、紋切り型表現を使っている。
何てことはない、ようは、使い方次第なのかもしれない。