3596 映画「黒部の太陽」

先日黒部ダムを見学して以来、気になっていろいろ調べたり、小説を読んだりしているが、その小説を原作とした映画「黒部の太陽」をぜひ見てみたいと思った。

しかし、1968年公開のこの映画は、どうも主役の石原裕次郎が「こういった作品は映画館の大迫力の画面・音声で見て欲しい」と言い残したといわれていることもあり、ビデオ化、DVD化されてこなかった。

さらに、この映画が3時間15分と比較的長いために、テレビ放送される場合でもかなりカットされることが多かったようだ。

そんな経緯から、“幻の映画”とも言われているようで、当分は見る機会はないだろうな・・・とあきらめつつ、調べていたら、「東日本大震災復興支援を目的として、『黒部の太陽』を全国各所でスクリーン上映する」ということになっていたらしい。

で、見に行けそうな場所と時間で公開していたのが・・・

錦糸町だった。

まさか、映画を見に、錦糸町まで来るとは思ってもみなかった。

時刻は、9時15分。ふだんの出社とそんなに変わらないではないか。

映画館にはすでに、けっこう観客が入っていた。

映画を見るなんて、かなり久しぶりだ。

9時30分館内は暗くなり、広告や注意事項が流れたあと、9時40分上映開始。

黒部ダム建設にともなう、関電トンネル掘削の苦闘を描くという大筋は、先日読んだ小説と同じ。

現地建設事務所の次長役に三船敏郎、下請け会社現場責任者役に石原裕次郎。主役の石原裕次郎にちょっとした恋愛模様を入れるのは、やはり映画ならではか?

トンネル掘削の最大の難所となった大破砕帯での異常出水のシーン。

これは、とにかく圧巻のひとこと。

トンネルに突如、巨大な滝が現れたようなもので、建設機械や資材、作業員もろとも、濁流に押し流されてしまうこのシーンは、撮影時に、けが人も出たというくらいだから、本当の“事故シーン”だったのだ。

と、突然、画面が止まり…

休 憩

とスクリーンいっぱいに表示された。

3時間以上の映画ということで、あらかじめ休憩が設定されているのだ。

で、15分後に映画は再開。

ストーリーの詳細は避けるが、このあと、この大破砕帯を突破するのに、7ヶ月も掛かってしまうことになる。

そして、なんとか大破砕帯を越え、トンネルはついに貫通。

両方の坑口から掘り進んでいった作業員たちが、貫通を喜あうシーンは、まるでドキュメンタリー映画を見ているような雰囲気で、見ているこちらまで感無量になってしまった。

ちなみに、この大破砕帯のあった関電トンネルを、いまでは、関電トロリーバスが、わずか16分で通り抜けてしまう。これも先日通ってきたばかり。

自分の年齢よりちょっとだけ?古い時期に作られた四十数年前の映画だが、細かいところで、いまとは違った姿を垣間見た気がする。

たとえば、タバコ。

タバコを吸わないシーンの方が少ないんじゃないかと思えるくらい登場する。

けれど、これはこれで違和感はない。

そして描かれたのが昭和30年代だったということで、まだまだ戦争の爪痕が色濃く残り、さまざまな場面で、その影響を受けていることも印象的だった。

そうした背景もあってか、作業のすべてが命懸けであり、すべてが執念だった。
13時10分上映終了。

小説で読んだ内容と、内容はかなり異なっていたが、とても見応えのある映画であった。

でも、3時間15分は、ちょっと疲れた…。

今回の企画は、石原プロモーションのチャリティーイベントということだったが、これだけたくさんの観客を集めるのだったら、もっとたくさんの映画館でやって欲しいと思った。

今回「黒部の太陽」同様に、幻の映画と呼ばれた「栄光への5000キロ」という映画も、この映画のあとに上映が予定されていて、もうすでに行列ができはじめていた。

でも、さすがに、お客さんの数で言えば、昨日から公開開始の、「踊る大捜査線FAINAL」の方が多いのは当然だろうけど、初上映から40年以上も経って、いまだにこれだけのお客さんを集める映画、石原裕次郎、三船敏郎は、すごい。

2 thoughts on “3596 映画「黒部の太陽」

  1. ロンさん

    この作品は未見ではありますが….。
    小手先で作り、お客さんがそれなりに入ればOK、という
    近年の映画は単に商材。
    黒部の太陽は「作品」という印象をうけました。

    最近は誰にでも作れちゃう敷居の低い映画だらけ、という状況。
    そろそろ飽きてきました(苦笑)

  2. ≫ ぶりさん
    Wikipediaにも書かれていますが、この映画を製作するにあたって、当時絶大な力を持っていた映画配給会社と、三船プロと石原プロとの間では“五社協定”というこの時代ならではの制約によって、かなり苦しめられたようです。
    物語の内容も命懸けなら、役者生命を掛けて作られたという点で、映画を作る側も命懸けだったとも言えるでしょう。
    そういった映画作りのひたむきな思いは、映画を通してちゃんと伝わってくるものなんですね。
    ひるがえって現代…映画は誰にでも作れちゃういい時代なんでしょうが、そうした状況をそのまま受け入れるには違和感を覚えてしまいますよね…。

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