2992 祭りのあと
今日から7月。
今日は、富士山の山開き。
江戸時代より、富士山をご神体(山)として信仰する富士信仰というものがあって、江戸のあちこちに、富士山に似せた山を築き、本物の富士山の代わりとして崇めるということが流行っていた。
その山を富士塚といいい、北区十条にもある。そして、富士山の山開きの日に合わせて、お祭りがあるのだ。
7月1日だけかと思ったら、6月30日もお祭りだったようだ。
何年も前から、この祭りのことは知っていたのだけど、つい忘れてしまって、これまで1度も行くことができまかった。
そして、今日仕事が終わり、急いでやって来たのだけど、時刻は20時を回っていた。
ちょっと小高くなった富士塚に登ろうとする人たちが長蛇の列を作っていた。富士塚の入口には、富士登山のポスターが…お祭りといっても、お神輿や山車が出るわけではなく、富士塚登山以外には、おびただしい数の屋台が軒を連ねる。
ふだんは、かなり静かな住宅街なので、このギャップは大きい。
七味唐辛子の口上を聞いたり、やたらと人が集まっていた射的を覗いたり、揚げじゃがバタを買ったら、2個おまけしてくれたり…と、屋台を見て歩くだけでも、なんだか楽しくなる。
おじゃこと話したのだが、かつては必ずあった、ある屋台が見つからないことに気がつく。
それは…
カメすくい”や“ヒヨコ”の屋台がないのだ。カメすくいがいないのは、もらった亀を近所の川や池に逃がしてしまって、生態系が崩れてしまうおそれがあるから?なんてことを考えた。
ヒヨコも、さすがに飼える家がないというのがその理由だろう。
ふと、こんなことを思いだした。かつて、実家にいたころ、近所に大量のヒヨコが生きたまま捨てられていたという事件が起きた。おそらく、祭りで売れ残ったヒヨコたちなのだろう。
付近の住民は、これはかわいそう…ということで、各家庭で数羽ずつ引き取ることにした。「もしかすると、タマゴでも産んでくれるかもしれないねー」などと陽気なことを言っていたが、成長したヒヨコたちは、全部、雄のニワトリとなった。
近所一帯に配られたヒヨコがすべて雄のニワトリになったのだから、さぁ大変。
日も明け切らないうちから、あちこちで、コケコッコーの大合唱となったのだ。あれは大変だった…
…話がそれた。
カメすくいはなかったけど、ウナギすくいはあった。
“
お祭りは20時半までということらしくて、賑やかだった通りも、急に人通りが少なくなってきた。
暇そうな屋台のオヤジは、小さな子供におもちゃでちょっかいを出したり…
店じまいした屋台のオヤジは、大量の札束を数えていたり…と、早くも“祭りのあと”という雰囲気になった。