8138 中間貯蔵施設と周辺を歩く
朝は久しぶりに富岡の方へ出かけた。
まず感じたのは、空き地が増えたということだ。
具体的にどこか変わったかはわからないが、あきらかに震災前にあった建物がなくなっている。
廃炉資料館を見に行きたいところだが、今回は時間がないので行けない。

富岡駅を経由して、漁港のほうに向かってみると、海はずいぶん荒れていた。
遠くには、福島第二原子力発電所がよく見えた。
以前はなかった案内板が整備されていて、地震で失われたろうそく岩について書かれていた。
かつて存在した富岡第一小学校の跡地。
校庭の前にぽつんと取り残された門柱が立っていて、それだけが以前の面影を留めているようで、どこか寂しさを感じさせる。
そこから少し車を進めると、新規オープンの直前に震災に遭い、そのまま一度も開店することなく閉鎖された「ケーズデンキ富岡店」の建物が見えてくる。
建物の塗装が塗り替えられていたため、通り過ぎる一瞬、それとは気づかなかった。
塗装変えるだけでここまでイメージは大きく変わってしまうのだ。
地震発生時のそのままの状況なのは、止まった時計くらいで、その後の原発事故による避難と立ち入り禁止期間のあいだに、イノシシやサルなどの動物によって、ひどい荒れ方になっていた。
長期間人の手が入らないと、ここまで荒廃してしまうのかと、あらためて驚く。

この付近は、帰還困難区域のなかにあって、道路からちょっとでも外れると、こうしたバリケードが行く手を阻む。
これまで、あまり意識していなかったが、まだまだ除染が進んでいない地域はあるのだ。
またこの地域は、そもそも徒歩や自転車で通り抜けてもいけないようで、事故が続いている一端を見た思いがする。
車で走り抜ける途中に気になる看板があって様子を見てみた。
「双葉ばら園」とあった。
看板に1968と書かれていたとおり、調べてみると1968年(昭和43年)に開園している。
道路の両側に看板があったが、これは一方が後からできた第二ばら園のようだ。
言うまでもなく、原発事故により閉園したようだ。
バラだけでなく、家族が楽しめる施設になっていたようだ。
雑草の隙間から見えた、出発の準備をしていたと思われる、並んだゴーカートが印象的だった。
時間が余ったので、ふたたび大熊に戻って「学び舎ゆめの森」を見てみる。
認定こども園、義務教育学校、学童保育が一体となった大熊町立の施設で、以前開校した日にたまたま立ち会ったこともあって、勝手に思い入れがある。
周囲は静かだったが、どうやら卒業式があるようだ。
午後からは、中間貯蔵施設の見学会に参加。
以前も訪れたことがあるが、この見学は「大熊コース」と「双葉コース」の2種類があり、今回は双葉コースを選択した。
参加者の年齢層は幅広く、自分より遥かに若い方から年配の女性まで、それぞれ一人で参加している姿も目についた。

見学バスで最初に向かったのは、かつて特別養護老人ホームだった「サンライトおおくま」だ。
ここは両方のコースに含まれているため前回も見たが、今回は降車が許可され、建物内の事務所を見学することができた。
避難時のまま残されているという室内には、野生動物が入り込んだ痕跡があり、あちこちに糞らしきものが見られた。
また、地震の影響かイノシシによるものかは判然としないが、車庫の扉が破壊された凄惨な状態のまま残されていたし、車に書かれた落書きを見て複雑な思いがした。

そこからほど近い、福島第一原子力発電所を望む展望台へ。
久しぶりに目にしたその姿は、以前とはずいぶんと形が変わっていた。
その後、中間貯蔵施設に関連する建物や工場の紹介があったが、バスの進行方向左側に位置していたため、右側に座っていた自分からは少し見えづらかったのが残念だった。

最後に向かったのは「正八幡神社」だ。
中間貯蔵施設の敷地内にあるため、普段は立ち入ることが許されない場所である。
しかし、許可を得た地元の人たちの手によって、倒壊した鳥居や灯籠が再建され、今も定期的に維持されているという。
新調されたばかりの真新しい注連縄(しめなわ)が、ひときわ印象に残った。
境内に建つ「復興祈念碑」に刻まれた一節が、強く心に響いた。
「避難により故郷に足を踏み入れることすら叶わず、恵み多き大地は荒野と化した」
この中間貯蔵施設は、法律によって2045年3月までの使用と定められており、それまでに膨大な除去土壌を福島県外で最終処分しなければならないことになっている。
こうした事実をより多くの人に理解してもらうことが重要だが、施設自体の認知度が低いことが大きな課題であると、担当者の方が静かに語っていたのが忘れられない。
ちょうど今回の見学に関連した記事が載っていた。

























