7906 これも多様性のひとつ…なのか?

先日からずっと気になっている伊東市長の学歴詐称疑惑問題。
詐称しているのが”東洋大学”ということもあって、大学の評判にまで傷がつくのではないかと、まったく無関係な立場ながら、どこか落ち着かない気持ちになる。
昨夜になって、速やかに辞職するという考えを翻し、まさかの市長職にとどまる意向を示したという。
もう誰の声にも耳を貸すつもりはないのだろうが、どんな精神構造なのか理解に苦しむ。
ここで思い出すのは、現兵庫県知事のこと。
彼のように、まったく会話が成立しないような人物が公職についているという現実は、正直、恐ろしい。
質問にまともに答えない。二択の問いですら、はぐらかしてかわす。
もしそういう人が身近にいたら、と思うだけでゾッとする。
常識的に考えれば、とてもその任に耐えられるとは思えない。いたたまれないような状況のはずだが、そうした感覚を持たない人も、確かに存在するのだ。
なぜか急にこういう人物が目立つようになったような気がする。
その一因として、現行の法律がこうしたケースの出現を想定していなかったことにあるのかもしれないと思った。
制度の多くは性善説の上に成り立っていて、その“穴”を突かれているようにも見える。
今後は、人物の資質までをも見極めるために、法律でより細かく規定せざるを得ない時代が来るのかもしれない。
「多様性の時代」とはよく言うけれど、これは、その中には本来なら歓迎されないはずの“多様さ”まで含まれてしまうのだろうか。