7897 我が意を得たり…と思ったけど

社会・政治・事件

こんな記事を見つけた。

一部の得意な子のために「みんなで」やる必要はない…教員が「校内マラソンもドッジボールも害」と語るワケ

ドッジボールは、強い子どもが優位に立ち、弱い子どもを「的」にするという特徴的構造をもっています。これは、狩猟や攻撃的な行動を模倣した遊びの形態であり、社会で必要とされる「思いやり」や「協力」といった価値観とは逆行しています。また、ボールを受ける際の身体的な痛みや、逃げ回るだけの「消極的参加」に追い込まれる子どもが存在することも、教育的な視点から見過ごせません。

小学生のころは、よくドッジボールをさせられていた記憶がある。

ドッジボールは本当にイヤだった。

球技が苦手だったから、なんでこんなことしないといけないんだろう?とか、なんで球を当て当てられなきゃいけないんだ…と思っていた。

まさに記事通り「消極的参加」をしていたのは自分だったし、こういうことが公に語られる時代になったんだと思った。

ただ、この記事に対するコメントを読んでハッとした。

こういう、バリアフリーやめてほしいです。
行事のやり過ぎには歯止めかけるべきですが、得意不得意はそれぞれ。マラソン大会(距離は配慮を)あり、合唱コンクールあり、水泳大会あり(今どきは別の視点から、無理かな)、、本来はいろんな行事があり、いろんな生徒が輝いていいのではないかと思います。

学校ではさまざまな活動があって、ドッジボールはその中のひとつに過ぎない。

そう考えれば。コメントにあるように、それぞれで自分が好きなものを見つけていく一方で、不得意なこと、それこそ”理不尽”に感じることを経験するというのも、それはそれで、大事な学びなのかもしれないと思った。

Posted by ろん