あいつゲイだって アウティングはなぜ問題なのか?/松岡 宗嗣
- あいつゲイだって アウティングはなぜ問題なのか?
- 松岡 宗嗣
- 柏書房 (2021/11/29)
最近、LGBTQ(性的マイノリティ)に注目が集まっている。
自分の身近では、特に事例はないのだけど、以前から少しずつその問題が気になっていたので、あらためて本書で事情を知ることになった。
本書の見出しにある「アウティング」。
これは「本人の性のあり方を同意なく第三者に暴露する行為」をいう。
この言葉は、以前聞いたことがあったという程度で、今回こうして本書を読んで初めて知ったと言ってもいいくらいだ。
世の中でも、実際まだまだ知られていないが、言葉が知られていない=問題が認知されていない…ということであり、その結果、悲劇を生み出しているとも言えるだろう。
本書では、「一橋大学アウティング事件」を中心に、さまざまな事例を取り上げて、どこに問題があるかを丁寧に解説してくれている。
読み進めていくと、自分のなかに刷り込まれていることが多過ぎることがよくわかる。
たとえば、ハッとしたことのひとつに“性別”の考え方がある。
そもそも性別は、生まれたときに医師や助産師等により「男の子/女の子ですね」と判断され、出生届に記入される。それゆえ、法的にも社会的にも、性別は「割り当てられるもの」とも言われている。(p.59)
性別が「割り当てられる」なんて想像もしなかったくらいだから、まったく意図せず、無意識のうちに差別してしまってることもあるだろう。
性的マイノリティが身近にいないと思っても、それは単に表立っていないだけで、多くの人たちが苦しんでいるのかもしれない。
世の中全体が、性的マイノリティの存在が「いないこと」にされている現状では、差別や不利益自体も「存在しないこと」にされてしまうか、仮に認識されたとしても、それは“個人の問題”として矮小化されてしまうことが往々にしてある。
結果的に、知らず知らずのうちに、加害者となってしまうことは、十分考えられるし、実際に起きている。
こうした問題が話題になると「難しい時代になったなぁ」…と思うときもあった。
しかし、これまで気にしないで過ごせたのは、性的マイノリティとなっている人たちの“我慢”や“犠牲”があったこと気付かされる。
社会全体が、こうした状況に早く気づき、あまりに当たり前と思ってしまっていることの積み重ねが、結果的に差別や悲劇を生み出しているかもしれない…ということを認識すべきだろう。
本書では、さまざまな事例が取り上げられ、悪意があってやってるとしか思えないものもある一方、良かれと思ってやってるというケースもあった。
もちろん、アウティングされる側からしたら余計なお世話以上に、極めて迷惑な話だが、根本的な理解が異なっているままでは、残念ながら、考え方が通じ合うことはない。
現時点で、世間の多くの人たちが、性的マイノリティが置かれた状況の理解ができていない以上、アウティングを簡単なことと考えるべきではなく、命に関わるような緊急避難的なケースは除いて、アウティングされるようなことがあってはならないのだ。
かなり踏み込んだ話だけに、判断は難しいが、まずは日頃から関心を持つことから始めるべきだろう。