ジャポニスム/ 宮崎 克己

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ジャポニスム 流行としての「日本」
宮崎 克己
講談社 (2018/12/19)

美術展で作品を観ていると、よく“ジャポニズム”という言葉が出てくるが、これまで、その実態というものを理解する機会はなかった。

本書は、たまたま図書館の新刊コーナーで見つけたのだが、予想以上に面白かった。

そもそも、ジャポニズムという言葉が、当時は見下したニュアンスもあった(p.22)とか、当時からあった単語であり、あとからできた言葉ではない(p.23)といったエピソードも興味深かった。

日本は、鎖国状態でありながら、1800年代初頭から、少しずつ日本の美術工芸品が西洋に流れ込んでいたという。

そうした背景もあって、極東の自分たちとはまったく異なる文化を持った国があると、ごく一般のフランス人も日本に対して関心を持っていたそうだ。

日本の美術工芸品国家が、王室とは別に、市民のなかで室内装飾品として取り込まれることになったのは、思想や宗教、イデオロギーとは無縁だったからだという。

1853年ペリーが浦賀にやってきたというニュースは、日本では鎖国をやめるきっかけとして有名だが、当時のフランスでも衝撃を持って受け取られたという。

1855年、デパートの開店記念の有料イベントで、来場者に日本の扇子がプレゼントされた話も興味深いし、1862年に、使節団がフランスを訪れると“生の日本人”をひと目見ようとする市民が熱狂的な騒ぎがあったそうだ。

この扇子や団扇が、この時代に大量に輸出されていたということも初めて知った。

1890年の1年だけで扇子146万本、団扇52万本という数はすごい。

扇子や団扇は、消耗品として消費されてしまうため、まったくと言っていいほど現存していないが絵画としては残っている。

平安時代以来、屏風や蒔絵に多数の扇形を散らす「扇面(せんめん)散らし」(p.110)が、西洋にまったく新しい意匠をもたらしたという。

たしかに、西洋では、伝統的に古代から建築の外観もインテリアも、階層を整然と積み重ねて左右対称に配置されているものとされていた。

しかし、日本からもたらされた意匠が、その伝統を変えてしまったというのだから、ジャポニズムの影響力はすごい。

さらに驚きだったのが、東京の領事館で働いていた義弟を頼ったり、自身も来日して日本の美術品を集めたり、雑誌を発行するなど、ヨーロッパで積極的に日本美術を紹介していたジーク・フリートビングという美術商が1895年に開店させた店の名前が、「アール・ヌーヴォー」という店だったということ。

もちろん、この店の名前は、1900年前後に大流行した装飾様式の由来となったものだ。

それほど影響力のある人物も、ジャポニズムに関わっていたのだ。

実はまだ読んでる途中ではあるが、本書を通じて、ジャポニズムが、当時から現在に至るまで多大な影響を与えたことがわかって、とても面白かった。

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