テレビは日本人を「バカ」にしたか?/北村 充史
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テレビは日本人を「バカ」にしたか?―大宅壮一と「一億総白痴化」の時代 (平凡社新書) 北村 充史 平凡社 2007-02 |
あの「あるある大事典」で紹介された納豆ダイエット法がまったくの捏造であったという事件が日本中をにぎわせたのもつかの間、つい最近も“バナナダイエット”でバナナが品薄になってしまった。いずれも、テレビが非常に大きな影響を及ぼしている。そんなテレビに影響されやすい日本人、そしてテレビの持つ影響力を50年前に言い当てたのが、評論家の大宅壮一だ。
テレビにいたっては、紙芝居同様、いや紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりとならんでいる。ラジオ、テレビというもっとも進歩したマス・コミ機関によって、“一億白痴化”運動が展開されていると言ってよい(p.92)
どうやら、もともとは「一億白痴化」であって、大宅壮一が言い始めたころには“総”の文字は入っていなかったらしい。そもそも「一億」という日本全体を指す言葉は、戦時中から「進め一億火の玉だ」「一億玉砕」「一億総特攻」とスローガンとして使われていて、戦後も「一億総懺悔」なんて言葉もあり、“総”の文字が入るのも違和感はない。1956年(昭和31年)に日本テレビで放送された番組が、いわゆる“やらせ”企画であったことが発覚。この番組をきっかけに、この言葉が生まれたようだ。
本書は、「一億白痴化」という言葉をキーワードに、いまでは当たり前の存在になっているテレビ草創期のことが詳しく書かれている。とても興味深かったので、詳しく書いておこう。
日本初の民間テレビ放送予備免許を与えられた「日本テレビ放送網」と、民間ラジオを母体として作られた「ラジオ東京テレビ」(のちの、東京放送・TBS)しかなかった時代に話はさかのぼる。
当時の郵政省は、さらに2つの民間放送開局のための免許を与えるということになり希望を募った。2局のうちの1局は、通常の一般総合局、そしてもう1局は、教育番組専門局とするという方針だった。
- 中央テレビ(ニッポン放送・文化放送)
- 芸術テレビ(松竹)
- アジアテレビ(大映)
- 東洋テレビ(東宝)
なんだか、漫画とかドラマに出てきそうな怪しげなテレビ局名が並んでいるが、開局希望をしたテレビ局だ。その後申請がまとめられて、富士テレビとなり、その後、フジテレビとして開局する。
そしてもうひとつの教育専門局というのも興味深い。教育専門局とは、一週間の番組編成のうち教育番組が50%以上、教養番組が30%以上と規定され、学校放送番組には商業広告を入れないこと、という厳しい条件だった。厳しい広告の制限があっても、実に9社もの申請が殺到した。「テレビは儲かる」と見られていたのだ。
- 日本短波放送(日本経済新聞社)
- 日本教育放送(旺文社)
- 国際テレビ(東映)
- 東京テレビ(東京都ほか)
- 国民テレビ
- 日活国際テレビ(日活)
- 富士テレビ(新東宝)
- 太平洋テレビ(洋画輸入)
- 極東テレビ(映配)
これらもフジテレビ同様、申請は一本化され、日本教育テレビ(NET)として開局。しかし教育専門局では経営は厳しく、その後一般総合局となって現在に至っている。
かつて、各テレビ局ごとにテレビ塔を建てていたらしい。当時郵政省電波監理局長で、その後東海大学理事長兼学長になる浜田成徳は、夢物語としながらもこんな構想を考えていたという。
テレビ局の放送塔を一本にまとめ、その塔を当時の宮城内もっと高台といえる場所、いまは北の丸公園になっているあたりにうち建てる。その鉄塔の高さを500メートルほどとし、その中間の適当な高所に展望台を設置して、来訪者のための観光用に供し、同時にここと羽田の国際空港をつないでモノレールを敷設する。(p.128)
もちろん、これを実現しようとしたのがいまの東京タワーだ。場所は違えど、その東京タワーから比較的近い浜松町から、羽田空港に向かってモノレールが延びているのは、なんだか興味深い。
…と、“大宅壮一”や“一億総白痴化”とはほとんど関係ない箇所ばかりに興味を持ってしまったが、いわゆる“やらせ”とか、テレビがいかに日本人を白痴化させるか?といった、深層を追究するよう突っ込んだ記述があまりなく、どちらかと言えば、放送史に興味のある人にお勧めといった感じの本。
※本文中の写真は、文章の内容と直接関係はありません