1635 体罰について

定点観察

掲示板の書き込みから、インスパイアされたので、今日の二番搾りは、体罰について。

てらを同様、(暴力は論外だが)僕も、ある程度の体罰は仕方がないと思っている。
体罰というのもイメージとちょっと異なる気がするので、ここでは”指導”とさせてもらう。

前提として、そこに信頼関係があるかどうか?、”指導される側”がその”指導”をどれだけきちんと理解しているか?が鍵となる。

自分自身の経験を、振り返って思い出してみると、なぜ先生から殴られたりげんこつを食らったのか…という理由は、はっきりしていた。不満が全くないとは言えないけど、どこか仕方がないな…と思っていた。口で言って言うことを聞かないのだったら身体に教え込ませるというのは、それなりに効果があった。確かに、痛みを感じることで、これがいけないことなのだと文字通り「痛感」したのだ。

そして、先生、生徒、子供を預ける親とのそれぞれに信頼関係があった。人間だから、先生の”指導”が多少行き過ぎてしまうことはないとは言えないが、それも、ある程度の信頼関係があったことで、許されてきた面もあろう。

それが、だんだんと”指導する側”と”指導される側”の信頼関係が薄らいでいく中で、こうした微妙なバランスも崩れてきたのだろう。
そういう状況では、もはやこれまでの”指導”は難しいと考えるべきで、そういう意味で時代は変わったと思うべきなのかもしれない。

まずは、体罰云々言う前に、関係者間の信頼関係をどう取り戻すかを考えていかないと。信頼関係がないのならば、一切、手を出すべきじゃないと思う。

Posted by ろん