8143 Web空間に溢れる「役割語」としての関西弁
以前から不思議に感じていることがある。
Webニュースの見出しやSNSのコメント欄において、関西弁が妙に目に付くということだ。
東京で生活していると、日常会話の中で関西弁に触れる機会はそれほど多くない。
そのため、相対的に目立って見えているだけなのかもしれないが、それにしても遭遇率が高いように思う。
これはいったいどういう現象なのだろうか。
実際にニュースへ書き込む層に関西圏の人が多いのか、あるいは、作り手がタイトルを考案する際、あえて関西弁を選択しているのか。
本来、方言は親しい間柄で使われる「口語」であり、公共性の高いニュースのコメント欄などで多用されることには、どこか落ち着かない違和感を覚えてしまう。
しかし、ここでひとつ考えられるのは、関西弁がある種の「役割語」として機能しているのではないか、ということだ。
標準語では角が立つような厳しい批判も、関西弁特有のリズムに乗せれば、どこかユーモラスな「ツッコミ」へと変わる。
あるいは、本音をさらけ出す際の声色として、関西弁というパッケージが都合よく使われている側面もあるのではないだろうか。
本来の居住地や出自とは無関係に、特定のニュアンスを伝えるための「道具」として方言が消費されているのだとしたら…文字だけで構成されるWeb空間において、関西弁は感情を補完するための、便利すぎる記号になっているのかもしれない。

