7974 企画展「記録をひらく 記憶をつむぐ」

今日は、東京国立近代美術館で開催中の企画展「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」を鑑賞。
この企画展は、プレスリリースもチラシもポスターも内覧会もなかったことから、ちょっとした話題になっていた。
ふだんの企画展では、大きな写真撮影スポットになっているはずの場所が真っ白になっていたのも、今回いかに特殊な展示担っているかを伺わせる。
まるで”ひっそり”と開催されているような企画展だったから、お客さんも少ないかと思ったら、そうでもなく、外国人も含めて多い感じがした。

大日本雄弁会講談社《「支那事変大勝記念号」(「講談社の絵本」第50号)》1938年
絵画による殺争のビジュアル化の先鞭をつけた「講談社の絵本」シリーズの、この挿絵が当時の一般家庭でどのように戦争が伝えられていたのかがわかる。
そこには戦争の悲惨さは微塵も感じられない。

梅原龍三郎《北京秋天》1942年
描かれた北京の風景は、戦時中とは思えないほど爽やかな雰囲気。
意図しているのかどうかはわからないけど、こうした作品が、日本の大陸進出の”成果”として人々に受け止められていたことも事実だと解説にあって、ハッとさせられた気分。
戦意高揚は勇ましいものだ仮とは限らないのだ。
笑顔の農夫(婦)を手前に大きく、背後に果てしなく広がる大地を描いたこの構図は、満州開拓移民募集として制作された典型的なポスターだそう。
自身が旅行で体験した満洲国の実態は、これまで聞かされていたこととまったく違ったことに驚いたそうで、この作品にそれが反映されているよう。威容を誇る二頭の牛をよく見ると穴が開いて安普請の看板のようになっている。
「満州へ!!」のポスターで誘う”理想国家”「満洲国」の虚像を描き出している。

藤田嗣治《神兵の救出到る》1944年
東京国立近代美術館で藤田の戦争画はいくつか見てきたが、これは初めてだったと思う。
描かれているのは、日本兵が踏み込んだ瞬間で、縛り上げられた現地の家政婦が見える。
解説には”怯える現地女性”、日本兵もまた脅威とあったが、藤田がそうしたことを意図して描いたかどうかというのはちょっと違う気もする。
テーブルの下に猫がいる。

田村孝之介《佐野部隊長らざる大野挺身隊と訣別す》1944年
ガダルカナル島の米軍司令部に奇襲攻撃を行った大野挺身隊の3人が、出撃前に別れの杯を交わしている場面。
スポットライトのように差し込む光が、宗教画の殉教図のように受け止めたらしい。
もはや戦争が”宗教”と化しているように思えてくる。

伊原宇三郎《特攻隊内地基地を進発す(一)》1944年
1944年12月3日、茨城県水戸東飛行場から飛び立つ陸軍特別攻撃隊「殉義隊」と、それを見送る同僚や家族が描かれているが、そのなかで少女がこちらに視線を向けている。
この場面だけで、この作品が訴えかけてくる”何か”を感じずにはいられない。

鶴田吾郎《神兵パレンバンに降下す》1942年
青空と穏やかな雲のあいだを、ふわりと舞い降りる無数の落下傘。
そして地上で行われている死闘。このコントラストが、なんとも複雑な気分にさせられる。
これはいったいどういった状況なのか…詳しく知りたいと思ったが、解説には詳細はなく、こちらに詳しく紹介されていて、とても参考になった。

丸木位里・俊《原爆の図 第3部 水》1950-51年
終戦して5、6年しか経ってないころは、まだ占領下の報道規制が敷かれていたようで、この作品は、被爆した人々の身体を克明に伝えるメディアとしての機能を果たしたそう。
何の罪のない人たちが、なぜここまで苦しまなければならないのか?戦争の根本的な問題を、真正面から突きつけられた気がした。

小川原脩《成都爆撃》1945年
「殺し合いや撃ち合いといった人間を主題とした絵はやりたくなかった」と考えていたそうで、彼が制作した戦争画はすべて飛行機がモチーフとなっている。
この作品の隣で彼のインタビュー動画が流れていたが、とても考えさせられた。撮影はできなかったが、英訳があったのでそれを再び日本語化。[シーン1]
インタビュアーから「この空襲のイメージを描いた時、被爆地で暮らす人々のことを想像していましたか?」と質問されると、小川原はこう答えた。
小川原:「今それを言ったら嘘になります。今思えば感傷的ですよね。戦時中はもっと過酷な状況でした。目の前のことしか考えられません。」
[シーン2]
小川原:「戦争は計り知れない力で襲い掛かってくるもの。あの時代を経験しなければ、理解できないと思います。戦後、当時は反戦だったと言って自分の立場を守ろうとする人がいましたが、私はそれは間違っていると思います。そういうことを言う人を私は信用できません。」
【シーン3】
50年ぶりに自身の作品に触れた小河原は、「まず懐かしさを感じました。
『何か悪いことをしたな』という罪悪感と同時に、懐かしさがこみ上げてきました。これもまた、私。これもまた、私自身に他ならないのです。」とコメント。




