だからデザイナーは炎上する/藤本 貴之

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だからデザイナーは炎上する/藤本 貴之

だからデザイナーは炎上する (中公新書ラクレ 548)
藤本 貴之
中央公論新社 (2016/2/9)

東京オリンピックの”エンブレム騒動”が起きたのは、2015年だったそうで、もう10年も前のことだ。

本書では、エンブレム騒動の詳細を分析して、デザインの世界における問題をわかりやすく明らかにしていく。

別に自分はデザイナーでもないし、業界とも無縁だが、興味はある。

まず「デザインはアートではない」(p.57)という指摘は、当然とも言えるが、あらためて考えると、とても重要なポイントだと思った。

アートは、究極的には誰からも文句を言われる必要のない、あくまで制作者の主観的な表現が許容されたものであり、その一点において合理性や客観性は求められない。

一方、デザインは、具体的な目的や機能を持って設計されるもので、客観的な説明やその存在の具体的な根拠が必要となる。

インターネットの時代を迎えて、デザインは「表面的な美醜」を超えて、「伝え方の設計」へと変化していったという。

ネット時代において求められるデザインのルールは以下の3つがあると著者は指摘する。p.150

「3秒」しか見ない
「3回」しかクリックしない」
「3箇所」しか見ない

現在のデザインは、説明を要さず、直感的でわかりやすく、消費財であることを受け入れるデザインでなければならない。

「自己満足なデザイン」や「説明が必要なデザイン」は決して受け入れられないのだ。

また、最近多く見かける、ミニマル(最小限)デザインについても、行きすぎているのではないかと警鐘を鳴らしている。

「シンプルこそがデザインとしてオシャレ」という思想をバックにミニマルを追求し推し進めた結果、ついには必要な機能まで削っているのではないかと指摘。

この状態を筆者は、ファスティング・デザイン(断食設計)と呼んでいた。

このあたりを読んで、思いつたのが、セブンイレブンのセブンカフェの自動販売機だ。

あまりにシンプリになりすぎて、使う人がどのボタンを押していいか分からず、テプラを貼りまくられていた。

説明が必要という時点で、それはもうデザインではない。

エンプレム騒動は、デザイン業界の権威による「素人にはわからないだろう」という思い上がりにも似た考えによって、より事態を深刻化させ、炎上させてしまった。

彼らが、”特別だ”と思い続けたかったのかもしれないが、ネット時代においては、それはもう”時代遅れ”となってしまったのだ。

エンプレム騒動では、“パクリ”に注目が集まったが、“パクリ”にも、さまざまな種類があると著者は指摘する。

そのなかでも…

トレースや模倣は技法であり、表現であり、そして模倣は尊敬を表すものである。手続き的な過失のあった場合や倫理的・同義的な逸脱をした場合に問題が起こるものであり、正しい手法・常識的な手法としてそれらを用いるのであれば、何ら問題はない。(p.124)

ということで、”パクリ”と指摘されるのを恐れるあまり萎縮するべきではないとも訴えていて、その通りだと思った。

なんでもかんでも”パクリ”だとしたら、新しいものが何も生まれなくなってしまう。

本書からは、いろいろな気づきと学びを得ることができた。

Posted by ろん