3732 マーケティングとネット社会の“乖離”
最初のうちは、あまり気にならなかったが、ここまで氾濫してくると、無視しきず、否応なく意識させられてしまう。
日経ビジネスオンラインの2013年1月8日に、「誰が「○○男子」を増やし続けているのか?」というコラムが載っていて、◯◯男子について詳細に分析していて、興味深く読ませてもらった。
そのなかで、こうした◯◯男子をいう言葉を生み出すのは、「メディア」「ネット社会」「マーケティング(の関係者)」であり、なかでも、メディアについては、雑誌や新聞などの既存メディアが意図的に流行らせているわけではなく、インターネット上のコラムの影響力が他のメディアを凌駕しているという結論に至る。
ここで特に気になったのは、記事の最後に取り上げられていた筆者の所見だった。
- ◯◯男子を「佐川男子」「メガネ男子」といった“容姿”
- 「スイーツ男子」「弁当男子」といった“行動”
- 「非モテ男子」「メス化男子」といった“性格”
…の3つに分類し、それらが、先述の3つの発信者のうち、どこから発信されたかを示すグラフが載っている。
これによれば、“行動”は、「メディア」「ネット社会」「マーケティング(の関係者)」のうち、「ネット社会」でまったく語られていないというのだ。
逆に、“行動”は、他の2つ(“容姿”、“性格”)と比べると、マーケティングからの発信が突出していることがわかる。
筆者は、マーケティング関係者が社会に埋もれた社会現象を上手に拾っているのかも?といった可能性を示している一方で、マーケティング関係者だけが一方的に情報発信しているという可能性も示唆していたが、僕の感覚的には後者のような気がしてならなかった。
つい先日読んだ本でも、マーケティングがネット社会と乖離してるのではないかと思えるような話が出ていたし、最近は、“ごり押し”と思えるような事例も少なくない。
マーケティングが空回りし、需要を創出できなければ、結局は景気も良くならないのでは?
ネット社会が、必ずしも一般の社会を代表するわけではないが、決して無視できないくらいの大きな部分を占める社会の一部だ。こうした社会とマーケティングとの乖離は、世の中にとって、とても不幸のような気がする。