定点観察

見出しへ 前のページにもどる
6月2001年7月8月
「定点観察」にもどる

2001年7月

 「定点観察 二番搾り」について

 仕事で、システムの状況報告を、ほぼ毎日メールにて社内向けに発信しているのですが、その中の、おまけ的に書いているエッセイみたいなものです。文面がおかしいところもあるかも知れませんが、”ねらって”書いてますので、どうか気にしないように。


 
6日
金曜日
曇り


戻る

 定点観察 二番搾り 28

 今日の東京は久しぶりに曇ってます。夜から雨になるそうで、明日も雨。久しぶりに梅雨が戻ってくるようです。
 さて、昨日の月食はご覧頂けましたでしょうか?
 東京は薄曇りでしたけど、半分くらい欠けた月を見ることができました。
 7月6日。1783年(天明3年)、浅間山で大噴火が起こり、死者数千人から数万人とはっきりしていないようですが、史上最大級の噴火であることは間違いありません。この噴火でできたのが、現在の鬼押し出し園です。幅3km、長さ12kmにわたる溶岩の固まりが続く風景は、月並みな言い方ですけど、自然の力の大きさを実感します。
 1902年、中央本線の笹子トンネルが貫通しました。このトンネルは、延長4657m、着工以来約6年の歳月と、延べ195万8000人、建設費約190万と建築用具費、運送費を合わせて合計220万円の巨費が投じられました。この約1年後、東京と甲府がレールで結ばれることになります。
 1972年、佐藤栄作内閣が総辞職し、代わって史上最年少となる田中角栄が首相に就任します。
 今日のお誕生日は、ミヤコ蝶々(1920年)、遠藤実(1932年)、長塚京三(1945年)、シルベスター・スタローン(1946年)
瀬川瑛子(1948年)、大西結花(1968年)、とよた真帆(1968年)のみなさんです。おめでとうございます。

 今週も、お付き合いいただき、ありがとうございました。 また来週もよろしくお願いいたします。
 
5日
木曜日


戻る

 定点観察 二番搾り 27

 7月5日(木曜日)です。とにかく暑い日々が続いてる東京です。
そんな今日は、当時の国鉄総裁下山定則氏が登庁途中、日本橋三越に立ち寄ったのを最後に、行方不明となり、翌日、常磐線北千住−綾瀬間の、東武伊勢崎線と交わる線路上で、轢死体で発見された、下山事件が発生したのが、1949年の今日のことでした。その後、国鉄では立て続けに15日に三鷹事件(三鷹駅で無人列車が暴走6名死亡)、翌月17日には松川事件(東北本線金谷川-松川間で旅客列車が脱線転覆3名死亡)と起こることになります。終戦後の混乱の中で、不可解な事件が続きました。
 今日は、フランスの詩人である、ジャン・コクトー(1889年)、映画監督の円谷英二(1901年)、トゥナイトでおなじみ?の石川次郎(1941年)、ドリフターズの仲本工事(1941年)、宇多田ヒカルの母、藤圭子(1951年)のみなさんが今日のお誕生日です。おめでとうございます。

 さて、今日は部分月食があります。
 5日22時35分から食が始まり、23時55分、ちょうど南の空あたりで、食の最大を迎えます。約50%くらい欠ける感じになります。この時間に起きてて、雲がなかったら、ぜひ見てみて下さい。南の空に、赤っぽい月が見られるはずです。ちなみに次回の月食は12月30日です。

・・・と書きましたが、定点観察にも書いたとおり、この12月30日の月食は半影月食なので、そんなに書けて見えるもんじゃないそうです。ごめんなさいね。
 
4日
水曜日


戻る

 定点観察 二番搾り 26

 こんにちは。
 今日も東京は暑いです。
 今朝9時現在、気象庁発表の東京の気温は、なんと30.5℃、湿度62%です。もうお昼ですが、この時間はもっと気温が上がってるに違いありません。

 1776年の今日、アメリカがイギリスより独立しました。なので、今日がアメリカ独立記念日です。そりゃそうですが・・・
おりも政夫(1953年生まれ)、眞野あずさ(1957年生まれ)、ヒロコ・グレース(1969年生まれ)ということで、みなさん、おめでとうございます。

 今日のお昼はカレーでした。
 夏だし・・・でも、夏だとなんでカレーなんでしょうね?辛いから?(意味不明)そういや、だいぶ前ですけど、カレーミュージアムっていうところに行きました。横浜の。新横浜ラーメン博物館の二番煎じの感は否めないですけど、なかなかよくできてました。けど、ラーメンと違って、カレーは自分で作ったのとか実家のカレーとか身近なカレーが結局は、一番おいしく感じるのは何故なんでしょう? そうじゃない!という方は、ご一報下さい。カレーと言えば、先日、ヱスビー食品の「とろけるカレー」の商品の箱のデザインが、ハウス食品の「こくまろカレー」に酷似しているとして、パッケージデザインの使用差し止めを求める訴訟を東京地裁に起こしたというニュースがあったんですが、結局どうなっちゃったんでしょうね。まぁ確かに似てなくもないんですけど、どうでしょう? 一度スーパーに行って見てみてください。
ヱスビー食品は、うちから比較的近いところに本社事務所があるので、ちょっと身近です。ちなみに、ヱスビー食品のヱスビーとは、商標として使われていた「太陽=SUN」と「鳥=BIRD」の頭文字から由来してます。
 
3日
火曜日


戻る

 定点観察 二番搾り 25

 こんにちは。
 今日は、7月3日(火曜日)です。
 今日の東京は快晴。午前9時の気温は既に28.7℃、湿度59%です。

 小野妹子、隋へ派遣されたのが、607年くらいで、特にこれと言った歴史はありません。
 今日のお誕生日は・・・深作欣二(映画監督 1930年生まれ)、池乃めだか(漫才師 1943年生まれ)、ロザンナ(歌手 1950年生まれ)、トム・クルーズ(アメリカ・俳優 1963年生まれ)、岡村隆史(ナインティナイン・漫才師 1970年生まれ)、のみなさんです。おめでとうございます。

 ここへ来てついにネタ切れです。

 関係ありませんが、ご存じの方いらっしゃったら教えてください。
アンパンマンの本当の頭は、ひもじい人にあげる”あの”頭ではなくて、胸の前についてる顔のワッペンみたいなやつ J が、本当の頭と聞いたのですが・・・だから、アンパンである頭を人に上げても、ましてや交換も可能であるとのこと。
言われてみれば、その通りなんですが、アンパンを外されたアンパンマンが生活しているシーンを想像すると、気分が悪くなってきます・・・
 
2日
月曜日


戻る

 定点観察 二番搾り 24


 昨日、7月1日は日曜日でしたので、ご紹介できませんでしたが、以下のような出来事、お誕生日を迎えられた方がいらっしゃいました。

 1889年、東海道線が全線開通し新橋と神戸の間を20時間で結びました。今だと、何往復できるでしょうか・・・もうすぐ参議院選挙ですけど、第1回衆議院選挙が1890年、タバコ専売法公布が1904年、名神高速道路開通(1965年)、電電公社のポケットベル営業開始(1968年)などが、7月1日でした。
 お誕生日は、川崎敬三(1933年)、浅井慎平(1937年)、山本圭(1940年)、横内正(1941年)、大木凡人(1949年)、田丸美寿々(1952年)、明石家さんま(1955年)、カール・ルイス(1961年)、ダイアナ妃(1961年)のみなさんがお誕生日を迎えました。エルトンジョンが、亡くなったダイアナ妃を偲んで作ったCD「Someting About The Way You Look Tonight」、「Candle In Wind 1997」を久しぶりに聴きました。

 さて、今日は7月2日。
 ドイツの作家であり詩人であるヘルマン・ヘッセ(1877年)、石坂浩二との離婚も記憶に新しい浅丘ルリ子(1940年)、参議院議員でタレントの西川きよし(1946年)、最近あまり姿を見かけない小柳ルミ子(1952年)、昨日までTBS系でやっていた24時間番組にも出ていたV6の三宅健(1979年)が誕生日です。おめでとうございます。
 パストゥール予防注射に成功(1881年)、ツェッペリン飛行船試験飛行(1900年)、金閣寺全焼(1950年)、何だか知らないけど、うどんの日と、たわしの日みたいです。国際協同組合デーでもあり、国連教育科学文化機関加盟記念日(ユネスコ加盟記念日)とのことです。
 さて、今日は、このうち1900年の今日、ツェッペリン飛行船試験飛行したことを取り上げます。
 最近は、広告用であっても飛行船を見る機会がめっきり減ってしまったように思います。なぜなんでしょうね。
 1900年7月1日ドイツのフェルディナント・ツェッペリン伯爵が、全長128mの硬式飛行船、ツェッペリン1号の初飛行に成功しました。しかし、最初の飛行はわずか18分間で不時着してしまいました。その後、2度の試験飛行を試みますが、資金不足のためツェッペリン1号はあえなくスクラップにされました。ツェッペリン2号は突風にあおられて破壊、ツェッペリン4号は爆発炎上といいことなしで、ツェッペリン伯爵は全財産を投じて飛行船の開発に取り組んだものの、破産の危機に追いやられます。しかし、ドイツ国民の熱烈な支持による多大な寄付金が寄せられ、ツェッペリンの飛行船の研究は引き続き行われることになりました。
 1927年、ツェッペリン127号は、世界一周(途中、日本にも寄ってます)の快挙を成し遂げ、1931年からは定期航路を開設し、飛行船時代がやってきたかに思われました。しかし、その時代はあっけなく終わってしまいました。カンの鋭い方はもうおわかりでしょう。そうです。あの、ヒンデンプルク号です。
 1937年5月6日、ヒンデンプルク号は、ツェッペリン飛行船129号機で、着陸直前に大爆発事故を起こし、乗員乗客97人のうち、乗客13人、乗員22人の合計35人が亡くなる大惨事となりました。ツェッペリン飛行船民間飛行の唯一の死亡事故でした。原因は、飛行船に充填されていたのが、あまりにも危険な水素ガスであったという点に尽きるでしょう。酸素と混ざって引火すれば、大爆発を起こすことは、小学生だって知ってます。しかし、そんな危険な水素ガスを使わなければならなかったのは、当時の政治情勢が影響していました。世界で唯一の不燃性ガスヘリウムを輸出できたのがアメリカであり、ドイツへの輸出を認めていなかったからです。皮肉なもので、この輸出についての署名をするために乗船していたかつての船長もこのヒンデンプルク号の事故で命を失ったとのことです。


6月2001年7月8月
「定点観察」にもどる