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旅行記録

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沼津までの道!

〜ママチャリでひとり箱根駅伝?〜

 この物語は、ノンフィクションであり、ごく一部の?脚色を除いて、ろんの行った真実のすべてが記載されている。一体彼の行動は何だったのか考えさせられる問題作となろう。1996年12月31日から1997年1月1日までの24時間の全行動記録である。


プロローグ

 1996年も穏やかにその幕を閉じようとしていた。ろん(以降「彼」と表記)は、なぜかこのまま終わらせたくない衝動に駆られるのである。その理由は本人もはっきりしないようだったが、とにかく何かをしなくては・・・という思いだった。
 そこで考えたのが、自分の力で何かを成し遂げるという、ごく単純なことだったのだ。自転車でどこかに行く。しかもママチャリで・・・


第1章 はじめの一歩〜とにかく西に行こう!

 今回は、本当に思いつきだったので、準備らしい準備が何もできないありさまだった。しかも、しかもである。目的地が決まっていなかった。 とにかく西に行こう。 それだけだった。方向しか決まっていないという旅行は、これまであまり例がない。
 以前国道16号線(全長約300km)を一周したとき、約3日間で走破できたことから、静岡県内は入れるだろうくらいの認識だった。パンク瞬間修理剤、防寒具、カメラ等の準備をして、いざ出発!

発車時刻

埼玉県川越市(自宅)

31日 12:10





第2章 快調な滑り出し

 まずは、日本橋へ。そして、それからは、国道15号線を利用しようと決めた。旧東海道に最も近いルートだったからだ。今回は旧東海道になるべく沿ったものにしようと走りながら決定したからである。

 銀座の中心部を通り抜ける。やはり大晦日。だいぶ人の数は少なくなっている。
 異常に多かったのは、大井競馬場付近。大晦日に競馬をやっているのかどうかはよく分からないが、ものすごい人込みだった。
 日の入りは早い。品川駅を過ぎたあたりで、すっかり暗くなってきた。自転車のペースは、まだまだ落ちない。
  まだまだ・・・

通過時刻 発車
東京都豊島区(池袋) 31日 14:45
東京都中央区(日本橋) 31日 15:38
東京都港区(品川駅前) 31日 16:49
東京都大田区(蒲田) 31日 17:30 18:00
神奈川県川崎市(多摩川) 31日 18:15
神奈川県横浜市(横浜駅) 31日 19:15
横浜市戸塚区(戸塚駅) 31日 20:30
神奈川県藤沢市(市境) 31日 21:36

第3章 紅白歌合戦を聴きながら・・・

 横浜、藤沢を過ぎても、彼にはまだ紅白歌合戦を聴く余裕すらあった。松たか子さんが気の毒なくらい緊張している様子が、ラジオでも十分に感じられた。
 もちろん疲労は確実に彼の足を捕らえていた・・・。ここまでほとんど休憩なしで進んできたが、計画を練り直すということも考えなくてはいけない時期に来ていた。

 ・・・と言っているうちに、新年が明けてしまったのである。あけましておめでとう! 二宮だった。

通過時刻 出発
神奈川県茅ヶ崎市(市境) 31日 21:55
神奈川県平塚市(市境) 31日 22:30
神奈川県大磯町(町境) 31日 23:09
神奈川県二宮町(町内) 31日 23:58 1日 0:00

第4章 闇と孤独の中で

 とにかく小田原まで行こう。そしてそこで考えよう。
 小田原市内にやっと入って、デニーズを見つける。さすが大晦日。禁煙席以外は待つ客の姿が見えた。
 箱根駅伝の幟(のぼり)の前で写っている写真が多いのは、これ以外になかなか、証明するものが見つからなかったから。境界を示す看板は、フラッシュに反射して、見えなくなるからである。
 警備のおじさんらしい人が、車の中から出てじろじろ見ている・・・

通過時刻 出発
神奈川県小田原市(市境) 1日 0:09
小田原市国府津(国府津駅前) 1日 0:19
デニーズ小田原酒匂店 1日 0:35 2:00




第5章 勾配と騒音と異臭の中で

 膝が痛くなりはじめた。ママチャリならでは?の現象で、膝を常に曲げて走っているママチャリは、膝への負担が、長距離走行用自転車と違って、非常に大きい。
 ちょっとした衝撃や坂が、痛みとなって走る。やむを得ず、押すことにした。しかしこれは序奏に過ぎなかったのだ。

 「箱根の山は天下の剣」と歌われた箱根は、江戸時代からの難所として知られていた。もちろん彼だって、これくらいは知っていた。確かに知ってはいたが、これが"相当甘い幻想"だったということを知るのにはそう時間はかからなかった。

 猛烈な坂の連続だったのだ。これでもか!これでもか!というくらいの。まったく自転車としての用をなしていなかった。この区間の9割は、手で押して上がったのではないだろうか?そしてさらに彼に追い打ちをかける事件があった。

 彼が選択した旧東海道は、夜になると特に車の交通量が減り、ヘアピンカーブの連続のため、俗に言われる「ドリフト族」の格好のコースとなっていたのだった。ニュースか何かで知ってはいたが、
 「まさかここがそうだとは・・・」
 引き返すわけにも行かず、ただ急ブレーキと急ハンドルから起こる騒音と、タイヤの摩擦から起こる焦げた異臭と煙の中(写真)を、轢かれないように、タイミングを見計らって進むしかなかった。彼らは、こんな時間に自転車で登ろうという奴を知らないはずだ。つまり道一杯にギリギリで走ってくる。カーブの連続だから、見通しはまるで利かない。これは、彼の疲れに更なる追い打ちだった。 本当に「死ぬか」と思う瞬間もあった。
 ドリフト族が何度か往復しているうちに、彼の存在に気づき、最後には
「頑張ってくださーい!」
と言われるようになってしまった。

通過時刻 出発
箱根湯本駅前 1日 3:15
畑宿(バス停前) 1日 4:30
箱根神社 1日 6:15 6:45



第6章 貸した"坂道"は必ず取り戻す!

 箱根神社で初もうでを済ませた彼は、どこまで行けるか思案していた。このまま戻るのはしゃくだ。ここまで登ってきた登り坂を返してもらわねば・・・
 そのためにはまだ坂道が残っていた。残るは箱根峠。
 そして、ついに何とか登りきり、標高は846m!



 そこからは一気に下り坂だった。おそらくは時速40km〜50kmくらい出ていたかもしれない。路面が凍結していて、一瞬死ぬかと思う場面もあった。
 三島市内を通過し、途中名水として知られる柿田川公園で小休止し、沼津まではあっと言う間だった。

そして、ついに沼津到着!!

長かった道のりが走馬灯のようによみがえる・・・何度も死にそうな目に遭いながらも、一人孤独に耐えながらも、ついに彼は、箱根の山を制したのであった。

 〜 が、彼を迎える元旦の沼津市内は閑散としていた。

箱根峠(静岡県函南町境) 7:46
静岡県三島市(市境) 8:10
静岡県沼津市(市境) 9:13
沼津駅前 9:45



第7章 嫌なオチ

 沼津に着いた彼は、次にどうしようか思案していた。本当なら、静岡市まで行ってみたかった。しかしもう彼にほとんど力は残っていなかった。
 そして、沼津駅にいたホームレスと軽いいざこざがあって、そのすきに、自分の防寒用の軍手がホームレスの手に渡ってしまったのだ! 取り戻すのもままならず、この先の行程は続行できなくなったのである。完全に気が抜けてしまった・・・
 逆にこのことが、これでおしまいにしようというきっかけにはなったのだから、感謝しなくてはいけないかもしれないが。

 そしてここで申し上げなければならないことがある。
 実はここまで使用してきた自転車だったが、やむを得ず放置することにしたのだ。本来ならば持って帰るべきなのだろうが、大きいので解体するわけにもいかなかったのだ。すぐに移動できるよう、鍵はつけたままにした。車両状態は良好。名前も消したので、次のご主人を見つけてもらえるように祈りながら、ここまで苦労をともにした自転車と永遠の別れを告げた。この自転車は、国道16号線一周の際にも使用され、一度盗難に遭いながらも、警察からの連絡により再び戻ってきたという経緯があり、愛着はひとしおだったが、それゆえに今回のプロジェクトに抜擢されたのだった。


エピローグ とにかく眠い

 ホームレスとちょっとしたいざこざが起こったのは、沼津駅のキヨスクだった。何気なく見た「WEDGE」という雑誌の広告に勤務先の会社名が見えたので、つい手にとった、ちょうどその時だった。

緊張の糸が切れ、すぐに帰ろうと思い、その場で「特急あさぎり」の切符を購入。特急列車だったら、新宿まであっという間だ。せっかくの列車の旅も、眠気には勝てず、道中はほとんど寝て過ごしてしまった。


今回の行程

 こうしてみると結構長いな。


昔の人もすごいが箱根駅伝もたいしたものだ


 ちょうど帰った翌日から箱根駅伝が始まった。まぁ何人もの人がリレーしていくのだけど、でも自分が走った道のりのことを考えれば、素直に「すごいな!」と思った。
 もちろん昔、ここを徒歩で通った人は、もっと大変だっただろう。今でこそ自動車ですいすいだし、まして鉄道だったら丹那トンネルをくぐればあっと言う間である。かつてこのトンネルがなかった時代は、大きく遠回りして、この箱根の山を避けたくらいだから、いかに大変な山道だったかが、自分の体を通して知ることができた。
 でも今回みたいな旅は、もう終わりにしたい。ちょっと残念だけどね。


さあ今度は君の番だ!


 この物語を読んで、ちょっと関心が出てきた君!素直にチャレンジしてみてはどうだろう?ノウハウは私が伝授しよう。
 何か一つやり遂げるというのは、とてもすがすがしいことだ。これは、ほんと。
 バカバカしいことに、一生懸命になれる瞬間って、好きだ。これも龍的思考回路である。


誤って記述してましたが、指摘により、訂正しました。タイゾウちゃんありがとう!


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