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旅行記録

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谷中七福神



 今年の正月は、江戸でもっとも古いと言われる七福神を回ってきた。




 5km程度の行程なので、ゆっくり歩いても2時間程度だが、自宅から自転車で来たので、今回は、そのまま自転車で回ることにした。





福禄寿
(東覚寺)

 今日最初に訪れたのが、福禄寿がいらっしゃる東覚寺。すでに七福神巡りをするたくさんの人たちの姿が見える。
 ここで、色紙を買う。500円。和紙でてきた七福神のイラスト付きの版画台紙は1200円。前者の場合は記帳と御朱印を押してもらうため以降、一カ所につき300円かかる。後者の場合は、各お寺の記帳が済んだ状態のため、以降は、一カ所につき200円で済む。

福禄寿さま
 ご本尊様は本堂にはおらず、手前左手の事務所玄関?にいらっしゃった。この玄関は、記帳や御朱印を受ける場所と、お守りの販売所も兼ねているので、狭い玄関がごった返していた。
 

 山門前には赤い札がぺたぺたと貼ってある像らしき物体…これが「赤紙仁王尊」と呼ばれるものらしく、具合の悪いところに赤い紙を貼ると、病気の身代わりになってくれるらしい。
恵比寿
(青雲寺)

日暮里駅からすぐのところ。
記帳と御朱印は右手の事務所で受けられる。
本殿正面のガラス戸の隙間から覗き込むとご本尊様を拝むことができる。中央に、でんとお座りになっていた。
 ここは花見寺とも呼ばれているらしいが、今日はあまりその面影を見つけることはできなかった。

恵比寿さま
 
布袋尊
(修性院)

 お隣青雲寺からすぐ。道路に沿った壁には、布袋尊様のアニメチックなイラストが描かれたタイルが貼られている。
 本堂は土足厳禁。手前で靴を脱ぐ。本堂の中に入って右側で御朱印と記帳をしてもらう。目の前でスラスラと記帳してくれる。これが仕事とは言え、何ともうまく書くものだ。ご本尊様は左側にいらっしゃる。これまで見た布袋尊の中で一番大きく、迫力があった。高さ2mは、重さは200kgもあるらしい。

でかっ…

なんともうまく書くものだ

アニメチックな布袋尊

■ 富士見坂

富士見と名の付く場所はたくさんあるが、本当の富士山が見えるところは、都内だとごくわずか(もしかすると、もうないかも)になっているが、ここは正真正銘、富士山が見える坂として有名らしい。…今日は見えなかったけど。
寿老人
(長安寺)

 今回訪れたお寺の中で最も狭く、正面から本堂が撮れなかった。靴を脱いで中にはいると、手前に記帳と御朱印をしてくれる場所があって、奥の方にご本尊様がいらっしゃる。
 このご本尊様は、徳川家康が奉納したものといわれている。なぜか鹿?に乗っている。
毘沙門天
(天王寺)

 長安寺から谷中霊園を通り抜けた先に、天王寺がある。

 七福神巡りのことについて書かれたガイドによると、この近くに谷中の五重塔というのがあったが、昭和32年に火災に遭い、その残材でつくられたのが、ご本尊様のおられる毘沙門堂(右写真)。毘沙門天像は、江戸時代初期に比叡山から移されたとのこと。

 お堂の前は、かなり長い行列ができていた。自分の順番になって、ようやくご本尊様とご対面…と思ったら、毘沙門堂のかなり奥まったところにいらっしゃった。

 境内には高さ2.4mの大仏も鎮座している。参考にしたガイドによると、この天王寺は、現在の宝くじに相当する「富くじ」を興行することが許されたお寺のひとつとのこと。
大黒天
(護国院)

 こちらも本堂に上がって、御朱印と記帳をしてもらう。本堂内はちょっと薄暗い感じで、なんか、いかにもお寺らしい感じの雰囲気が漂う。大黒天様の「後ろ」にある絵が、徳川三代将軍家光が贈ったものとされるらしいが、大黒天様の影でよく見えなかった。大黒様以外にも本堂内には、いくつかの像があり、境内には他のお寺には見られなかった能楽堂があるなど、時間を掛けてみれば、見どころはたくさんあるような感じのお寺だった。

大黒天様の後ろの絵が…

能楽堂があった
 
弁財天
(不忍池弁財堂)
 不忍池の真ん中になにやらお堂みたいな建物が建っているのは知っていたが、ここが七福神の一人、弁財天がいらっしゃるとは知らなかった。
 ちょっと並んでようやくお会いできたと思ったら、お堂の中のさらに奥の方に鎮座していたので、ほとんど表情は見られなかったのは残念。
 寛永寺を建立した天海僧正・慈眼大師が、琵琶湖の竹生島にならって島を築いて、弁財天を祀ったのが最初と言われている。慈眼大師というだけに、「めがねの碑」なる碑があった。後ろに書かれていた物故功労者一覧には、「小売業」や「ケース製造」といった感じで眼鏡に関係する人たちの名前が並んでいた。
 
七福神巡りの途中で見かけた、上野大仏については、こちら

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取材 2006/1/3
作成 2006/1/3

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