ありがとう!テール

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 思い出
  16年間。テールはずっとぼくたちを見守り続けてきてくれた。家族で出かけるときは、いつも一緒だった。車で出かけても、僕が車酔いしそうになるのに、テールはなぜか余裕綽々だった。
 




 この16年間、僕にとって、一番長い時間一緒に過ごしたのがテールだったと思う。 中学、高校、大学、社会人・・と、人生の節目節目をずっと見守り続けてくれた。
 特に大学時代は、授業が休講だったり、なんの予定もないときなどは、一日中テールと過ごすことも少なくなかった。基本的には、僕は2階の自分の部屋に、テールは1階のソファーに寝そべっていることが多かった。
 たまに、テールが2階に上がってきて部屋の扉を開けてくれと、前足でノックした。扉を開けてやる。部屋の中を一周すると、そのまま部屋を出て行ってしまい、また階下へ帰って行く。テールが一番大好きだった僕の母を探していたのか、それとも誰かがいるという人の存在を確認したかったのか。とにかくテールは寂しがり屋だった。


散歩には、よく行った方だと思う。
最後に行った散歩はいつだったかな。。。


テールのにおいが好きだった。
テールは嫌がっていたけど、よくテールの顔の前に僕の鼻を突き出して、においを嗅いだりした。あまりにしつこかったのか、高校生の頃か大学生の頃か、鼻を咬まれてしまい、血を流したこともある。




 ゴム製の直径3、4cmくらいの黒いボールを2種類買ってきた。ひとつは、いわゆる「スーパーボール」と呼ばれるもので、とてもよく弾む。もうひとつは、そのボール自身が反発力を吸収するためにほとんど弾まない特殊なゴムでできている。二つのボールの大きさはまったく同じ。強いて言えば、多少表面の光沢が違うくらい。ただの興味本位で買ってきたこのボールを使って、テールと遊んでみた。
 はじめに、テールの目の前で、弾む方のボールを見せる。そのボールを上から落とす。テールは、その落ちて跳ね返るボールを首を上下させながら、じっと見つめていた。次に、弾まないボールを上から落とした。ボールは弾まずに、ボトリと下に落ちたままだった。テールは、上に跳ね返るものだとばかり思っていたのだろう、首を上にしたとたん、跳ね返っていないことに気づき、びっくりしたように、ボトリと落ちたボールを見つめ返していた。人間でも区別がつかないので、当たり前なのだけど。ボールは跳ね返るものだと予測して行動しているのだとわかった実験だった。


 

 父は、手先が器用で、いわゆる日曜大工はお手のものだった。
そんな父を見て育った僕は、手先は器用じゃないけれど、工作には興味があって、父の作業を見守ることが多かった。庭で作業する父をテールと一緒にじーっと見ていたことを思い出す。今から思えば、それはとても貴重な幸せな時間だった。
社会人になって、そろそろ家を出て一人暮らしをはじめようと思った頃だったか、初めて「テールがいなくなったときのこと」を考えたように思う。なぜかはよくわからないけど。


 ある日、両親も妹も帰りが遅いために、僕が早く帰って、テールの散歩をしなければならないということがあった。会社を出る前に、家に電話をかけて、家の中の音をモニターしてみた。すると、テールが大声でないている声がした。今でも、この泣き声は鮮明に思い出せる。この泣き声を聞いたら、もうテールをひとりにさせてはおけないと思った。たぶん母も同じ気持ちだったのだろう。テールをおいて旅行はできないとよく言われたものだ。


 僕は、テールのかゆいところもよく知っていた。首の後ろのあたりを手で掻いてあげると、とても嬉しそうで、一番のかゆいところにあたると、ぶるぶる震えたり、あたかも自分で掻いているつもりになるのか、テールの後ろ足が、あたかも掻いているように、動き始めてしまうのが楽しかった。


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