この建物のことを知ったのは、「タモリ倶楽部」という深夜のテレビ番組だった。 建物の紹介ではなく、使用されているエレベータの扉がいまだに手動で、しかもフロアによっては止まらない?といった内容だった。 当然?気になる話ではあったが、放送はあっという間だったし、すぐに行く機会はないだろうと思っていたので、あまり意識して記憶はしていなかった。 その後、ある展覧会で出会った方の個展が、とても個性的なビルで開かれているということで、詳しく話を伺ってみると、なんとその番組で取り上げられたビルだという。 そのビルは、「奥野ビル」という。 銀座通り(中央通り)からちょっと奥まったで、賑やかな通りとは一線を画す場所にあった。たいたいの場所しか記憶していなかったが、遠くからでもしっかりと存在感がある佇まいだった。 まず、外観を眺めてみる。 壁は細かいところまでスクラッチ状の模様が付けられて、屋上には、九段下ビルにもあった、西洋のお城を感じさせる波形の装飾(パラペット)のようなものが見える。 事前の調査によれば、どうも2つのビルは2つのビルが建てられた時期が異なっているらしく、外観からもその痕跡がわかる部分もあった。 建物全体が“直線的”なデザインだが、入口にある円い窓はちょっとしたアクセントとなって、とてもモダンな印象を与える。 入口ホールは、いたって実用本位ではあるが、微妙に異なったタイルの模様や色が、単調さを押さえてくれている感じ。思ったより天井は低くない。もちろん決して高いというほどではないけれど。 注目のエレベータはすぐ奥にあったが、これについてはのちほどじっくり見てみるとして、まずは階段を上がりながら建物内部を見学する。すぐに不思議な窓が目にとまる。 これは外へとつながる窓ではなく、隣のビルへの窓でもなく、“自分自身”のビルにつながる窓だった。ちょうど対称的に階段も作られているので、まるで鏡でも見ているような錯覚を感じる。増築なのであれば、わざわざ同じような階段を作ることはなかったのではないかと思う。実際エレベータは一方の建物にしかない。もし非常階段のつもりで作ったのであれば、既存の階段のすぐ隣ではなく、離れたところに作った方が意味があっただろうに・・・などと、設計者への疑問を投げかけつつ、しばらくこの不思議な空間を眺めていた。 昭和初期頃の建物に共通しているのは、手すりや天井といった部分にも決して手を抜いていないということだ。機能上、特に必要のない部分にもきちんと意匠を施していることが多く、こだわりを感じる。 アトリエ、画廊、ギャラリーといった芸術的なテナントが多い。 このビルで最も特徴的なものといえば、やはりエレベータだろう。 パッと見た目では、扉上部のかごの停止階を指し示す表示器は独特であること以外は、そんなに特徴的な感じはしなかった。しかし、よく見ると、他のエレベータとまったく違ったところがあった。
エレベータの呼びだしボタンは、まさに、かごを呼び出すためのボタンであり、上の階に行くのか下の階に行くのかは、呼び出す段階では関係がない。かごに乗ってからエレベータに指示するのだ。 「呼」ボタンを押して、かごを呼ぶ。 やってきたかごの扉を手で開けるが、これがかなり重い。しかも外側の「乗場ドア」と内側の「篭ドア」の2つをそれぞれ開けなければならないので、両手を使わないとスムーズに扉を開けることができないのだ。 篭の内部のボタンは、ごく普通のエレベータのそれと同じだが、よく見れば、扉の「開」「閉」ボタンがない。当然といえば当然だけど。かごの内部にも表と同じ注意書きと合わせて、更に大きな注意書きが掲示されていた。扉を閉めるのを忘れてしまう人も多いのだろ。エレベーターの扉を手動で開け閉めしたことがない人の方が、大多数なのだから、これまた仕方がないことだとは思うが。
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建築マップ 奥野ビル 最終更新日:2008年1月20日 作成日:2008年1月20日 作成者:ろん (この記事でご意見等ございましたら、こちらへ) |
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