

ふつう、建物は、風景になじむもので、その建物が存在すること自体、ごく当たり前のことのように思えるもの。 気になる建物があったとしても、わざわざ見に行こうという気になることはまれで、そうこうしているうちになくなってしまうことも少なくない。 これは、もともと三信ビルで感じたことで、気になる建物があったら、できるだけ見に行く機会を逃してはならないと思っていた。 そして、今回訪れたのが、気になる建物のひとつである、九段下ビルだった。 以前は、外壁がよく見えたのに、いまでは外壁の落下防止のためか、ほとんどが網(ネット)で覆われてしまい、建物全体が“もや”に覆われてしまっているように見える。資料等によれば、もともと、この建物は、震災復興事業の一環として、不燃化事業に低利融資する制度を利用して作られたらしい。一階は店舗、二階はその住居、三階は賃貸住宅向けになっていたとのこと。しかし、こうした手法で、造られた建物はほとんどなく、かなり珍しいケースという。
一階は商店が並んでいて、多少人の気配も感じるものの、訪れた日が日曜日の夕方だったせいか、どの店も閉じていた。 ビルの中へは、建物の左右2カ所にある扉から入るようだ。一カ所は開いたままになっていた。 入っていけないといった注意書き等はない。
中に入ってみると、電気が消えている。窓からの光だけが頼りなので、夜などはかなり怖そうだ。 階段はとても狭く感じたのは、薄暗いからかもしれない。 3階まで上がる。各部屋のほとんどはドアが閉まっていて、中を伺い知ることはできなかったが、唯一開いていた部屋を見ると、中には、懐かしい黒電話が置いてあった。まさにここだけ時が止まっているかのような感じ。 3階にはビルの両端を通した廊下がある。
ビルの共用施設と呼べるようなものとしては、共用の流し台とトイレくらいしかない。そのいずれも何年も使われていないような状態になっていた。 廊下の端までやってきた。ここから、ふたたび、階段を上がると屋上に出られるようだった。
屋上には、物置やあとから増築されたような建物、アナログテレビアンテナ、BS用アンテナ、なぜか自転車が2、3台、さらには三輪車まで放置されていた。すぐ横を走る首都高速とはほぼ同じ高さだが、それ以外のどの建物よりも低い。 このビルでもっとも特徴的な、屋上の西洋のお城を感じさせる波形の装飾(パラペットというらしい)は、近くで見るとさらに細かい装飾がなされていることに気付く。このあたりに、建築者のちょっとしたこだわりを感じた。
1階まで降りて、ビルをぐるりと一周してみる。 ビルの裏の建物は、ほとんど取り壊されており、さらに網が掛かっていないこともあってよく見えた。 これは、所有権が垂直方向に分割されているせいだろうか。
ふたたび靖国通りから、九段下ビルを見上げてみる。 全体的に、かなり古いという雰囲気はしても、具体的に時代を感じさせるような証拠みたいなものが、先述の黒電話以外、ほとんどなかった。ただ、ちょっと気になったのは、この住所表示。 神田区?あとから調べてみると、神田区は、麹町区と合併して発足した千代田区誕生まで存在した区で、1947年まであった。 ほかに気になったのは、壁にうっすらと残る文字だ。
区分所有者ごとに、網をかけているためか、網の掛かっているところと掛かっていないところがあるが、その網の内側の壁には、「写植、版下、デザイントレス」「中根式速記」といった文字や看板がかろうじて読み取れた。 これ以外にも、網の中には、おそらく80年という歴史を感じさせる何かがあるような気がしてならない。
都心で、このような状態のままでいること自体、かなり奇跡的な気がするが、今のところ特に取り壊し等の話は聞かれない。 これは、おそらくこのビルの所有権が複雑であることに起因するだけであって、歴史的な見地から、このビルが顧みられることはほとんどなさそうな気がする。話がまとまればあっという間に解体の憂き目にあうことは間違いないだろう。 このビルは、このまま朽ちていくしかないのだろうか? |
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建築マップ 九段下ビル最終更新日:2007年7月14日 作成日:2007年7月14日 作成者:ろん (この記事でご意見等ございましたら、こちらへ) |
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