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4月2005年5月>6月
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2005年5月


ダヴィンチ・コード ・ 

ダン・ブラウン/著
越前 敏弥/翻訳
角川書店

各1,890円(税込)
  この本が人気があるということを会社の同僚である、ふ〜さんから教えてもらった上に、上下巻ともふ〜さんから借りて読んだ。外国人の名前が登場する小説は、あまり読み慣れてないために、読み始めるのが億劫になりがちなのだが、ルーヴル美術館に行ったことがあるという親近感からか、最初の難関をクリア?し、どんどん読み進められた。会社と自宅を往復する地下鉄の車内で、一日にだいたい30ページくらいずつ。
 自分が長崎にゆかりがあるということもあって、カトリックとの縁は小さくないのだけれど、どうも知らないことが多すぎる。そもそも聖杯伝説なんてのがあるなんて知らなかったし、物語中に登場するさまざまな絵も、おそらく見たことはあるのだろうが、タイトルからは思いつかないために、イメージしにくかった。事前に多少の知識があった方がいいかもしれない。でも、可能ならば、本の冒頭か巻末にでも、登場人物の紹介と一緒に絵の説明などもあってもよかったと思う。そういう点では、ダヴィンチ・コードと合わせて売られている関連本を参考にしながら読んでもいいかもしれない。
 視点が新鮮なだけに「サスペンス」として見ると、ちょっと展開が強引というか、オチに無理があったような気がしてしまった。
 それにしても高いなぁ。2冊で4000円近くでしょう?ふ〜さんから奢ってもらったようなものだなぁ。

(2005/6/1) 【★★★★☆】 −05/6/5更新


つくば科学万博クロニクル

洋泉社MOOK
洋泉社

1,260円(税込)
 
 愛知万博がきっかけで、万博について知りたくなり、いろいろ調べてみてたどり着いたのがこの本。中央区立図書館から入手。
 僕が言ったことのある唯一の国際博覧会であるつくば科学万博は1985年3月から9月にかけて開催され、のべ2000万人以上の人たちが訪れた。そのうち僕は3回行っている。ひとつのイベントに3回も足を運ぶなんて、そうめったにあるものじゃない。それくらい楽しかったのだ。
 そんなつくば科学万博を振り返り、当時の関係者から話を聞くというのが本書の趣旨。
 馬場区が開催される当時の時代背景、パビリオンや関連グッズの紹介、筑波山神社と万博の深いつながりなど、あまり他では見られない話が満載で楽しめる。HSSTやジャンボトロン、NECパビリオンなどの誕生秘話なども興味深い。
 全体を通してみると「人間・居住・環境と科学技術」というつくば科学万博の統一テーマは、ほとんど具現化されて「いなかった」ことがよくわかる。テーマに「環境」という言葉が入っているものの、現在と比べてその比重は比べものにならないほど小さく、科学万歳!といった当時の空気が伝わってくる。

(2005/6/1) 【★★★★☆】 −05/6/5更新


「電車男」は誰なのか―“ネタ化”するコミュニケーション

鈴木 淳史/著
中央公論新社
1,050円(税込)
  最初「電車男」というのを聞いて、鉄道マニアか何かの話かと誤解していた。で、これが出版され、話題になってきたところで、インターネットでいろいろ調べてみた。
 すると、どうも2ちゃんねるの世界では、この出版という行為自体、相当否定的らしいということがわかった。掲示板のスレッドが出版されるという、2ちゃんねるの住民たちには直接関係ないことなのに、なぜここまで執拗に反対するのか、ちょっとわからなかった。

 本書ではまず、電車男を生んだ「2ちゃんねる」という存在自体を検証する。それをふまえて、そもそも「純愛」とはなにか?真偽論争、そしてなぜ2ちゃんねるの住民たちがここまで否定するのかといったことなどについてなどに言及していく。

 直接本文とは関係ない部分だが、日本は「学歴社会ではなく、学校歴社会だ」という言葉が気になった。確かにもし本当に学歴社会ならば、大学院出身の人の方が、東京大学出身という人より、もっと優遇されるはずであるが、現実ではそうならない。明らかにどこの「大学」を出たかが問題となるのだ。著者はそれをあえて「学歴社会」と呼ぶ点に注目している。僕もこの点にはとても共感を持った。

 脚注がものすごくたくさんある。あとから脚注を見ればいいかと思って読み進めていくと、章末で50を越える脚注にびっくりするので、読む方は本文で脚注が現れたら、すぐに章末を見に行った方がいいと思う。最後に見ると、何が書いてあったか忘れてしまう。

(2005/6/1) 【★★★★☆】 −05/6/5更新


さおだけ屋はなぜ潰れないのか?

山田 真哉/著
光文社

735円(税込)
  「会計の本質を大まかにつかんでもらう」、「苦手意識をなくして、身近なものとして会計を使ってもらう」という目的で書かれた本なので、会計という言葉を聞いただけで、避けたくなってくるような人(自分も含めて)でも、とても読みやすい。
 身近な例を挙げて、それが会計に結びつくという話の展開は、さすがだと思う。
 最初、本のタイトルで釣っておいて、結局は会計の話に持っていってしまうんじゃないかと思いながら読み進めていくと、ちゃんと著者なりの答えを出してくれているので、安心した。

 「住宅街に高級レストランや、在庫だらけの自然食品の店が存在できる理由」
 「完売したのに怒られてしまったというスーパーでの出来事」

 わかりやすさを追求した内容で、一部ははしょりすぎてしまった感もあるけれど、それは本書の目的を達成するための割り切りなのであまり気にならない。会計関係の勉強を目指している人はもちろん、何気なく読んでもらっても十分楽しめる良書です。

(2005/6/1) 【★★★★☆】 −05/6/5更新


観覧車物語―110年の歴史をめぐる

福井 優子/著
平凡社

2,940円(税込)
  昔から、観覧車は万博やイベントの出し物として、欠かせないアトラクションのひとつだったようだ。日本でも振り返れば、万博や大きなイベントのたびに巨大な観覧車が作られていたし、現在開催中の、愛・地球博でも、観覧車は人気アトラクションになっている。日本はもちろん、世界中の観覧車を調べ尽くした著者の行動力には脱帽。観覧車ひとつとっても、さまざまな歴史があることがわかる。
 展望旋回車と呼ばれたことから、「日本初」の栄誉から長きに渡って忘れられてしまった観覧車や、デパートの屋上にある観覧車など、観覧車に関するあらゆる情報が盛り込まれている。デパートの上の観覧車といえば、実家のある川越のまるひろ百貨店の屋上には、むかしから観覧車があった。10台にも満たないゴンドラではあるけれど、ビルの屋上だから見晴らしがとても良かったのを覚えている。日本百貨店協会加盟のデパート(299店)のうち6店のみらしい。
 索引や参考文献なども充実しており、観覧車に興味を持つ人には欠かせないバイブルになるだろう。

(2005/6/1) 【★★★☆☆】 −05/6/5更新



テレビの嘘を見破る

今野 勉/著
新潮社

735円(税込)
  川に落ちた子象を親象が長い鼻を使って引っ張り上げるテレビCMを見たことがある人も多いと思う。あれは、調教師によって演技されたもので、全部で5頭の象を使い10時間もかけて編集されたものとのこと。
 「テレビの嘘を見破る」という本の冒頭にこの話題が取り上げられている。新聞のCMを紹介するコーナーでも取り上げられたらしいが、このCMを「やらせ」として問題になったとは聞いたことがない。CMだったから問題ないのか?よくわからないが、僕にはCMだからと流してしまうことに軽い抵抗を覚えてしまう。

 初日に釣れたのに最終日に釣れたとして盛り上がる釣り番組。ドキュメンタリー番組における長距離を走るバスの撮影で行きのシーンなのに、実際に撮られたのは帰りのシーン。薫製名人を訪ねて下ごしらえから完成まで一週間かかるというのでレポーターが、一週間後ふたたび現地を訪れるというシーン…実はレポーターが訪れた日にすでに薫製は完成しているとか…そういった「工夫」は枚挙にいとまがない。
 これらの工夫だって、結果的に本当の姿だと誤解させるようなことにつながるのだから、決して問題がないとは言い切れないと思うのだが…

 確かにドキュメント番組を作ろうとしたら、すべてその場で起きていることだけを記録することは不可能で、「再現」を織り交ぜないと成立しないという考え方は、確かにそういわれれば理解はできなくはないが「はい、そうですか」と単純に受け入れられるかと言えば、そうではない。
 
 あるとき、著者の所属する会社で制作した番組が、やらせであると指摘を受けた。
 フィリピンからマレーシアにかけて、舟を住まいとして漁で生計を立てている人たち(漂海民)を取材した番組で、「舟は借り物で普段はエンジン付の舟を使っている」とか「新婚夫婦が舟で暮らしてはいない」など、さまざまな指摘を受けたが、著者は「個別の事情より、より伝統的、典型的漂海民の生活を再現しようとしており、それはそれで正当なのだ」(p.165)という考えを持っている。
 つまり、この映像に資料的価値を風習や習慣の記録としての価値を見いだせるのだから問題ないという考えだ。

 果たしてこれでいいのだろうか?
 見る人が、その撮影された瞬間に、そうした人たちがテレビカメラの前に実在したと誤解されることは、問題ないのだろうか? 放送する側としては「あわよくば本物と思ってもらえるのであれば、それに越したことはない」くらいにしか考えていないのではないだろうか?

 再現や工夫は隠さずに、何らかの形できちんと公開すべきだと思う。そういう意味で、冒頭のCMの話は裏話としてきちんと公開しているのだから、何ら問題ないということになるし、資料的価値としての意味があるのならば、後ろめたいようなことはせず、堂々とこうした工夫をすればいいのだ。
 
(2005/6/1) 【★★★★☆】 −05/6/5更新



司法のしゃべりすぎ

井上 薫/著
新潮社

714円(税込)
  裁判の判決が報道されると、その判決内容そのものと同じくらい、いやそれ以上に判決理由が注目を集めることはよくある。この本の冒頭で、こんな例を挙げている。

 Y氏は被害者V氏を殺した容疑者として警察の取り調べを受けたものの証拠不十分で、不起訴処分となった。その20年後V氏の子であるX氏が、Y氏がV氏を殺した犯人であるとして損害賠償を求めて裁判をおこす。結果は「請求棄却」。殺していないと主張するY氏にとっては、当然の結果…と思いきや、その判決理由の中に、認めるわけにはいかない内容が書かれていた。
 「Y氏はV氏を殺してはいるが、損害賠償請求できる期間を過ぎているため、請求棄却」
Y氏の殺人を裁判所が認めたことで、X氏は満足し、控訴しないとした。
 損害賠償請求という裁判で、そもそも請求できる期間を過ぎているというのであれば、そもそも結論がはっきりしているはずで、Y氏が殺人を犯したかどうかを検討する必要はないというのが、著者の主張だ。これを司法のしゃべりすぎ=「蛇足」と言い切っている。

 本書はその「蛇足」の問題を問うている。殺してもいないY氏はとんだ迷惑を被った…ということになっているが、(冤罪かどうかは置いておいて)これが実はY氏は殺人を犯したというのが事実だとしたらどうだろうか?息子のX氏にしてみたら損害賠償請求はダメもとで、父親を殺した犯人を裁判所に認めてもらいたいという思いはあるだろう。

 本書では他にもさまざまな「蛇足」例を挙げているが、誰にとって蛇足なのか?ということをもう少し考えてもいいのではないかと思った。もちろん、裁判所は膨大な案件を抱えていて、審議が長期化する傾向にあるいったんが、こうした蛇足にあるのかも知れないが、もしこの蛇足がなかったら、X氏のような人は救われないということになる。戦後補償訴訟や、現行の在宅投票制度の問題など、法律の文面だけで片付けられない問題はたくさんある。そうしたものを裁判所がどう判断するかということは、決して蛇足ではないと思うのだけれど。
 
(2005/6/1) 【★★☆☆☆】 −05/6/5更新



写真のワナ―ビジュアル・イメージの読み方

新藤 健一/著
新潮社

714円(税込)
  もともと本書は1984年に書かれたものだったが、湾岸戦争のあの「油まみれの水鳥」写真が発表されたことに喚起されたのか、その10年後に新版としてあらためて出版されたことももあって、若干古い内容が多い。
 それでもここで述べられていることは、普遍的な問題ばかりで、初版発行から20年過ぎた今でもあまり状況は変わっていない。そもそもこの本を読むきっかけとなったのは、週刊誌に掲載された写真に付けられたキャプションが名誉毀損であるとして訴えた裁判があった…というようなニュース新聞で見たことからだった。その記事に本書の著者がコメントしていたので、この本を知ることができた。
 さまざまな実例を挙げていて、とてもわかりやすいのだが、いかんせん写真自体が古いのか、印刷技術が悪いのか、はたまた引用元の画質が悪いせいか、とても見にくい写真が少なくなかった。特にひどかったのは、「撮影者名、クレジットに要注意」と書かれているのに、肝心のクレジットの文字自体が、大きさにして1mm程度あるかないかで、もともとが新聞記事のコピーなので、文字がつぶれかかって、虫眼鏡がなければ決して見られないような状態というのもあった。

 写真は真実を伝える…これは多くの人にとっての前提条件ではないだろうか。「証拠写真」なんて言葉に゛代表されるように、ありのままが残されるということでは、部分的には間違いはない。ただそのさらに前提条件として、写真はあくまで一瞬をとらえたものであり、それ以上でもそれ以下でもないということだ。同じ写真であっても、立場が違えば、全く違った解釈ができるのが写真なのだ。
 帝銀事件で死刑判決を受けた平沢貞通を極秘に撮影した秘話なども興味深い。

 原爆灯火直後の写真として紹介されてきた写真は、実は広島と長崎が入れ替わって紹介されてきただとか、合成写真や捏造写真の作られ方など、知られざるエピソードがたくさん紹介されている。新版となっているが、さらにその後の情報も載せた新新版を希望したい。
 
(2005/6/1) 【★★★★☆】 −05/6/5更新


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