8344 展覧会「ようこそ! 華麗なる宮中晩餐会の世界へ」
今日は目白にある学習院大学へ。
霞会館記念 学習院ミュージアムで開催中の「ようこそ! 華麗なる宮中晩餐会の世界へ」を鑑賞した。
宮中晩餐会なんて、自分のまったく知らない世界で行われているものであり、昔から伝統を踏襲してそのまま続いてきたもの……と勝手に思い込んでいたが、今回の鑑賞を通じて「何事にも初めてというものはあるんだ」とあらためて思い知らされることになった。
明治維新を経て、1869年(明治2年)7月25日にイギリスのエジンバラ公を初めて「国賓」としてもてなすことになり、政府と皇室は大慌てでその準備をしたことから、宮中晩餐会の歴史は始まる。
まず、浜離宮に明治政府の迎賓施設である「延遼館」が設けられ、そこで用いる洋食器が佐賀県有田に発注された。しかし、英国側から国際儀礼(プロトコル)に通じていないとの苦情が出てしまう。これがきっかけとなり、一気に西洋化へ邁進することになったそうだ。
このとき女官から「人が使った食器は不潔で、宮中専用の食器が必要だ」という意見が出たことで、1875年(明治8年)にはイギリス王室御用達のミントン社などに皇室御紋付の洋食器が発注されている。
ただ、輸入には莫大な費用を要したため、ふたたび有田で宮中晩餐会用の公式洋食器である「金彩パルメット桐文洋食器群」が製造されることになった。
1874年(明治7年)の天長節(天皇誕生日)には、天皇が初めて外国公使を招いて西洋料理のメニューによる宮中饗宴を赤坂仮所にて開催したそうだ。 何ともなりふり構わぬといった必死さが感じられて、後から振り返るとなんだか微笑ましくも思えてしまう。
早飯は軽蔑される:日本流の早飯は西洋にては尊ばれず、否、却って軽蔑せらる
愛嬌よく応対:言話通ぜずとも愛嬌よく応対することに努むべし
何があってもしらんぶり:食品中に虫、毛その他の不認物あるときは主人に知れさる様取り除き極力秘密に葬るべし。但し、洋食店等にて自費にて食するときは給仕に注意し交換せしむることを得
かつて国際儀礼に通じていないとの苦情が出た理由のひとつには、当時提供されたのが和食であったという事情もあるらしい。
そのせいか、日本における本格的な晩餐会でありながら、長らく和食は出されていなかったようだが、昨年行われた宮中晩餐会で初めて和食の前菜が盛り込まれ、日本酒も伝統工芸「江戸切子」のグラスで初めて提供されたそうだ。 勝手な予想だが、もしかするとその当時の“トラウマ”のようなものが、長い間続いていたのかも知れない。
また、一般的なフランス料理は、厨房で一人分ずつ美しく盛り付けてから配膳されてくるものだが、これまでの宮中晩餐会では、給仕人が料理を数人分ずつ盛り付けた銀製大皿を持って回り、「来客は自分で取り分ける」スタイルをとっていたという。客に好きな料理を好きなだけ食べてもらえるという、もてなす側の温かな配慮だったそうだが、これも昨年行われた宮中晩餐会からは、出席者同士の懇談を妨げないようにとの配慮から、あらかじめ盛り付けられた皿が一人ひとりに配膳されるスタイルへと変わったそうだ。
展示そのものも非常に見応えがあったが、普段は決して覗くことのできない知られざる宮中晩餐会の世界を垣間見ることができ、とてもおもしろい展覧会だった。



