8330 白糸の滝に沈む大量の小銭
シルバーウィーク2日目となる今日は、朝からあいにくの雨が降り続いている。
外へ出かけるのも億劫になり、扇風機やエアコンの掃除、簾の片付けなどをしながら、先日まで過ごした軽井沢旅行の振り返りをすることにした。

旅の記憶を辿る中で、ふと強く印象に残っている風景があった。AIの”デタラメ”に振り回された後、寄り道として足を延ばした「白糸の滝」の様子だ。
訪れたのが早朝7時という時間帯だったこともあり、普段なら大勢の観光客で賑わうはずの景勝地には人影がひとつもなく、落ち着いて過ごせたのだけど、ふと、そのとき、水底で何かが無数にキラキラと輝いていることに気がついた。
近く寄って水面を覗き込んでみると、その輝きの正体は無数の1円玉だった。さらによく観察すると、水に晒されて変色して目立たなくなってはいるものの、かなりの数の10円玉をはじめとする硬貨が沈んでいる。
白糸の滝に「お金を投げ入れると願いが叶う」といった伝説や伝承があるという話は聞いたことがない。

ローマの「トレビの泉」のようにコインを投げ入れる習慣が頭に浮かぶが、ここは泉ではなく滝であり池だ。それにもかかわらず、水辺を目にすると小銭を投げ込まずにはいられない人々がこれほど大勢いるという事実。
そもそも、いったい、水の中に小銭を投げ入れるという行為のルーツはどこにあるのだろうか。
もともと日本の民俗的な風習として、自然の湧水に小銭を直接放り込むような文化があったとは考えにくい。あるとすれば、神社仏閣でお賽銭を奉納する風習や、銭洗弁天のように水でお金を清める行為くらいだろう。
しかし、そもそもお賽銭とは神仏に対して感謝や祈りを込めて「納める」ものであり、やみくもに投げて散乱させるような性質のものではない。

古来の「お賽銭」や「銭洗い」という日本の風習に、西洋の「トレビの泉」的なコイン投げのイメージが雑多に混ざり合った結果、こうした状況につながっているということだろうか。
ただ、この光景を単なる「観光客のちょっとした奇習」として済ませてよいものでもないと思う。
自然空間であるはずの水場に大量の金属を投入し続けることによる影響をもっと真剣に考えるべきだろう。
金属成分が水中に少しずつ溶け出すことによる水質汚染や毒性の懸念はもちろん、生息する野生生物が誤って金属を飲み込んでしまうリスクなど、自然環境の視点から見れば小銭を投げ込んで良いことなど何ひとつない。
「何となく」「みんなが投げているから」という軽い気持ちでコインを放り投げる前に、自分の投げたその一枚が自然環境に何をもたらすのか、一人ひとりが少しでも想像力を働かせてほしいと切に願う。