8322 第72回 日本伝統工芸展

日本橋三越で開催中の「第73回 日本伝統工芸展」を観賞。
ここ数年は毎年欠かさず足を運んでいる恒例の展覧会なのだが、正直に言えば、今年は例年ほど「これだ」と深く刺さる作品に出会えなかったような気もする。
伝統工芸の性質上、どうしても会場では完成された「見た目」だけで判断せざるを得ない。その造形の裏にどれほどの手間暇や緻密な工程が隠されているのかが外観だけでは推し量りにくい点は、少しもったいなく感じてしまう。
会場を訪れる直前、この展覧会を紹介するテレビ番組を見る機会があった。
番組内では入賞を果たした作家たちがインタビューに応じ、作品制作のきっかけやモチーフについて語っていたのだが、興味深かったのは彼らがインスピレーションを受けた場所の多くが都会ではなく「地方の豊かな自然」だったことだ。
現代において芸術や創作のインスピレーションといえば、変化や刺激が絶え間なく飛び交う東京のような大都会のほうが生まれやすいのではないか、とどこかで思っていた。
しかし、実際の工芸の世界を見渡してみると、そうではないらしい。日本の人口比率から考えても、都内に拠点を置く伝統工芸作家の割合はきわめて少ないのではないだろうか。
各地方には伝統的に受け継がれてきた素材や産地という環境が整っていることもあるだろうが、創作に向き合う精神的な深まりは、むしろ都会から離れた静寂や自然の中にこそ宿るのかもしれない。
以前から感じているし、番組を見ていてあらためて思ったのは、目の前にあるひとつの作品が生み出されるまでには、作家の膨大な思いや葛藤が存在するということだ。そしてそれは、本人から語られない限り鑑賞者には決して伝わらない。
作者が創作に込めた思いやストーリーは、制作から時間が経過していない「今」だからこそ、もっとも”新鮮な熱量”として届くはずだ。
すべての展示品とは言わないまでも、各作品の傍らに短い一言でも作家の「思い」がキャプションとして添えられていれば、鑑賞体験はもっと深く豊かなものになるに違いない。
そうした背景を知ることで急に輝きを増した作品や、強い印象を残した作品がいくつかあった。

須藤靖典の《会津消粉蒔絵漆箱「谷渡りの風」》。散歩道で見かけたシダ植物から想を得たというエピソードを番組で知っていただけに、ぜひ間近で撮りたかっただが、直接撮影不可だったのが残念。

伊藤北斗の《釉刻色絵金銀彩鉢》を目にしたとき、「あ、今年も同じ作家の作品がある」と直感。気になって調べてみると、やはり2年前(第71回)も3年前(第70回)も自分はこの作家の作品を記録していたのだった。毎回毎回カニをモチーフに勝負を挑んでくる姿には、ある種の親しみやすさすら覚える。

安藤令子の《七宝蓋物「流氷」》(日本工芸会奨励賞)は、銀と紺のグラデーションによって流氷の冷たい輝きと海の深さを表しており、その独特のフォルム自体が流氷そのものを雄弁に物語っていた。

日本工芸会会長賞を受賞した村上浩堂の《象嵌花器 「暮れ色の運河」》は、夕暮れ時のベネチアの運河に揺れるゴンドラの情景を描いたものだという。
事前知識としてその背景を聞かされると、無機質に見えていた意匠から急に鮮やかな風景が目の前に立ち現れてくるから不思議だ。
作者の言葉や背景に耳を傾けることで、工芸品は単なる「美しいモノ」から「思考の結晶」へと姿を変える。
スゴイなぁ…というだけで終わるのは、もったいないとあらためて思う。




